[8551] 題名:ほんっと御書を読まねぇな創賊は(失笑)
名前:元創価の現法華講員
◇0R9/xp62to
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投稿日:
2024/02/18(日) 20:18
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>私に僧侶は必要ありません!
僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によりて住す。譬へば薪(たきぎ)なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。
(四恩抄、平成新編日蓮大聖人御書268頁)
皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程は信心もよは(弱)く、僧をも恭敬(くぎょう)せず、供養をもなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし、恐るべし。始めより終はりまで弥信心をいたすべし。さなくして後悔やあらんずらん。譬へば鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩(あゆ)みをはこびて、今一日に成りて歩みをさしをきては、何として都の月をば詠(なが)め候べき。何としても此の経の心をしれる僧に近づき、弥(いよいよ)法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし。
(新池御書、平成新編日蓮大聖人御書1457頁)
末代の衆生は法門を少分こゝろえ、僧をあなづり、法をいるか(忽)せにして悪道におつべしと説き給へり。法をこゝろえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養すべし。今は仏ましまさず、解悟の智識を仏と敬ふべし、争でか徳分なからんや。後世を願はん者は名利名聞を捨てゝ、何に賤(いや)しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし。
(新池御書、平成新編日蓮大聖人御書1461頁)
そもそも「僧」は仏教徒が尊崇するべき三宝の一つなのに、それを口汚く罵りながら自分たちは仏教徒だと抜かす厚かましい連中は、仏教史上、後にも先にもおまえら創価バカだけだ。
しまいにゃ自分たちが僧宝だとか言い始めたしな。
ほんと終わってるわ、この賢いのう集団(失笑)