宿坊の掲示板
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[8379]

題名:セロニアス文句様

名前:ジョーカー

MAIL 投稿日: 2024/02/06(火) 09:52 240d:1a:186:ad00:b0cd:7f73:fcea:1b7(IPv6:so-net-jpnic-jp-20101215) (240d:1a:186:ad00:b0cd:7f73:fcea:1b7)

まず言えることは、創価学会は暴力宗教ではありません。草創期においては、謗法払いが行き過ぎて、過激な破壊行為等につながってしまったケースがあるかもしれませんが、そんなことは一切、創価学会は推奨していません。故意に他人の物を破壊したら、器物破損の犯罪であり法を下げる行為です。学会員であろうとなかろうと、それは蛮行であり、断ぜられる話です。創価学会はそんな狂気じみた世界ではありません。

言うまでもありませんが、極々一部の例を全体とは見なさないのは当然でしょう。組織も数が多くなればなるほど、指導が行き届かない場合や、誤解曲解も起きます。ましてや宗教というものは、独善に陥りやすく、一人ひとりの捉え方も微妙に違うので、時に常識に反し、奇異な動きをする人も出てきます。学会の役職は責任職なので、もしも会員に蛮行を行う人が出たら、役職者は自責の念に駆られます。そして二度とそのようなことが起きないよう、指導し具体的な手を打っていくでしょう。それが創価学会の基本スタンスというものです。

話の本題に入ります。そもそも御都合主義とは何を指すのか。御都合とは今までの「因果関係」「合理性」「設定」等を関係ないものとし、強引に推し進めること。仏法は道理を重んじるので、整合性なき御都合主義は、淘汰されて然るべきものと言えましょう。学会の教義変更においての大御本尊を受持しない宣言は、電源と端子の関係を否定する発言であり、「いままで何だったのか」と思わせる内容、言い回しでした。

一方私が主張していることは、大御本尊から離れることは超法規的措置であるということ。これは、「大御本尊信仰に実質的な価値があるか否か」、「宗門と学会の関係の今後」、「正本堂の破壊」、「学会の方向性としての御
本尊第一から信心第一への移行」等、これらを総合的、合理的に判断しての設定の変更なら可能なのではないかという言い分です。それでも因果関係は置いての話ですので、超法規的と表現しているのです。よって御都合主義とはニュアンスが違うと理解します。

学会員の蛮行の問題と、教義の問題は別次元の話です。人としての心からの謝罪と和解がない限り、どのように道理を説き、整合性のある教義に変更しても、理解は得られないし、理解しようともしないでしょう。ただしこれは、感情論の話なので、仏法者であるならば、本来越えていくべきことです。怨嫉の生命を変えない限りは、前には進まないでしょう。相手ではなく、自分自身を変えていくのが仏法の本義です。

宗教2世問題に関しては、ここ10年くらいの問題意識として考察しています。自分自身も当事者であり、子供もいるので、他人事ではありません。実際現場でも、青年期になると、親が勝手に入信させたという声がチラホラ挙がり、脱会する人も出て来ます。そういう場合は、私は意思を尊重しています。形だけ入会していても、信心が継承されていなければ、大なり小なり問題が噴出します。親の事を気遣って、表面化しない心理も、沢山内包されているのが現実です。

それでも、仏縁という観点や、励ましコミュニティー(善知識)という視点で見ると、創価学会に入っているメリットは数多く存在します。世の中は、一寸先は闇であり、悪知識も溢れています。それと対比した時に、親心として、創価学会は遥かに健全であることがわかります。宗教2世問題は、デメリットばかりが強調されがちですが、メリット・デメリット両方(多角的視野)から見ていく必要があります。

そして、組織ではなく、人間(心)から目を離さないこと。宗教2世問題は、自分自身の信心と、子供と向き合う貴重な機会です。何事においても、悪しく機能すれば不幸となり、善く機能すれば幸福へと転換されていきます。すべてを価値へと変えていくのが信心の力であり、創価の生き方であるというのが、私の確信です。




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