[822] 題名:公明党の再建 ~解党的出直し~
名前:ClearSky
◇7fcg9Esnb.
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投稿日:
2022/10/16(日) 20:53
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1.続く不祥事
公明党の腐敗・堕落が凄まじい。
国会議員、候補、職員の不祥事が続く。近年だけでも、N沢、H口、T山、O沼、K野…の不祥事がメディア・マスコミに流された。あまりにも酷すぎる。その度に「二度とこのようなことが行ないよう…」の言葉を何回聞いてきたことか。しかし、なくならない。まじめな地方議員や支持者は謝り続けてきた。これ以上、どうやって信じろと言うのだろう。党幹部は、真剣に人に謝らないから、その感覚が分からないのだろうか。
いかに努力しても、それを上回る不祥事で、汚名を塗り重ねていく。今のまま手をこまねいていれば、更なる不祥事は必至である。覚悟しなければならない。
もはや「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」の立党精神は微塵も感じられない。
いわば「大衆にうそを語り、大衆にだけ戦わせ、大衆だけが死んでいく」という実態ではないか。
口先だけ、自己中心、まるで詐欺師のようである。
残念の極みである。
議員の中には「解党的…」との言葉を口にする者もいるようだ。言葉だけを聞けば危機意識はあるようだ。
さすがに、ここまでの不祥事続きでは、今までの表現では支援者が納得しないと思ったのか、かなりインパクトのある表現である。
しかし、「今頃、何を言っているのか…」との感がする。支持者の感覚とは乖離している。一体、何を変えようと言うのだろう…。
公明党が危機感を感じているのは確かである。「党全体で綱紀を…」「政治倫理規範の策定を…」と勇ましい言葉が並ぶ。
しかし、口先だけの改革では全く意味がない。多少の努力も、現段階までくれば「焼け石に水」である。
中途半端な決意で、今の流れを変えることなどできはしないだろう。これからも不祥事は続いていく。支持者も国民も彼らの言葉を信じてはいない。
本気で変えようと思うなら、今までにないほどの抜本的な改革が必要である。今提示されている改革案で実現できるとおもっているのだろうか。
出来なければ、公明党を解党するだけの決意。それが本当の「解党的出直し」である。
是非ともその姿勢をみたいものだ。
2.不祥事の原因
日蓮大聖人の御金言にこうある。
「病の起りを知らざる人の病を治せば弥よ病は倍増すべし」(御書921頁)
「三毒八万の病をば小乗をもつて此れを治すればかへりては増長すれども平愈全くなし、大乗をもつて此れを治すべし」(御書1179頁)
確かに「不祥事」は「病」ではないけれども、ここでは病気の治療に見立てて、問題解決の方途を考えてみたい。
大聖人が仰せのように、原因が分からないのに、対処はできない。また、不適切な対処は、却って事態を悪化させるだけであろう。
公明党の対処方針は、原因を解明しようともしないのに、何かやったふりをしているのに過ぎない。
絶対に必要なことなのだと決意し、今までにない大いなる智慧を涌かせ、不祥事を根絶させるだけの根本的な対策を採るべきである。
先ずは、不祥事の原因を探求すべきである。
何故、公明がここまで堕落したのだろうか。
段階を追って考えてみたい。
●不祥事を起こす男性国会議員とその原因追及
大勢のまじめな庶民が、多くの不祥事を起こしている訳ではない。
公明党の国会議員レベルに限って言えば、ごく少数の、地位も名誉もある国会議員や職員に集中している。
しかも、頻度は一度や二度の醜聞ではない。複数回起きていることから、必ず国会議員・職員らに何らかの共通の原因があるはずである。
また、女性議員の不祥事は聞かない。圧倒的に男性議員であることも意味があるかもしれない。
本来ならば、党の議員・職員がこの原因を解明すべきである。
支持者が「なるほど、それなら納得だ」「それなら解決できるかもしれない」「立ち直せるかもしれない」という分析と対策を示してもらいたいものだ。
原因は様々考えられるが、今回、私は「過度のストレスの可能性」を取り上げてみたい。
●まな板の上の鯉
彼ら国会議員・職員は、心根はさておき、ある意味で、知的エリートの部類であろう。
それが、候補になると、俗にいう「まな板の上の鯉」となる。
これは、国会議員も地方議員も同様である。
候補は、先輩議員から「当選させてもらうには、学会に従うしかない」という精神を徹底的に叩きこまれる。
この認識は、「支援される候補」も「支援する学会幹部」にも共通するものである。
これは極めて異常な感覚であるのだが、創価学会と公明党には、この関係が厳然と存在する。そして、この構図がお互いをおかしくする。
●創高党低 - 上下関係
学会幹部と党の候補は対等な人間関係ではない。同志として、人間として、対等に遇してくれる学会幹部はもうほとんどいないだろう。
もし、学会幹部が師匠を忘れ、広宣流布も忘れ、傲慢になれば、候補は奴隷になる。
一介の庶民なら逃げも隠れもできようが、彼らは逃げたりしない。社会的な立場や過去の業績が、彼らにとっては却って呪縛となり、彼らは逃げようとはしない。
少なくとも、表向きは学会幹部に決して逆らわない。
そして、議員・候補者は、支援する学会幹部の出鱈目な要求に、どこまでも付き合わされることになる。
●増長するいじめ
逆らわない人間ばかりを相手にしていくと、虐待する側は益々増長していく。
世間の「いじめ」問題を見れば分かるだろう。初動を間違うと事態は悪化する。逆らわないことが仇となり、「私の言うことは何でも聞く」と錯覚した人間が増長する。
きちんとした訓練も受けず、恩を忘れ、人間性も磨かれてない者が権力を持つと、やがて暴君の如く、気に入らない者は次々に排除していく。
逆らわない者だけが残り、命令に従うものだから、益々、事態は悪化する。
組織を自分の子分達で支配して、上から下まで親分子分の世界を作り上げる。
そして、幹部信仰と組織信仰の団体に塗り替えられていく。
そこは、もはや「仏」の世界ではない。
「仏の世界ではない」からこそ、自ら「創価学会仏」を宣言する。
内部にしか通用しないのに、恥の上塗りを重ねる。
執行部の唱える「創価学会仏」に抵抗がない人間は、恥も外聞もない。
創価学会の劣化が、議員・候補・職員に反映している。
●異常をきたす精神
過度なストレスを受け続けると、健全な精神は崩壊する。
議員・候補の受けるストレスは尋常ではない。
比較的ストレスに耐性があるとされる女性議員は不祥事を起こしにくい。耐性の低い男性、しかも世間ではエリートと見られている人に間は、堪えるだろう。
そんな過酷な環境で、彼らに出来ることは、高級な場所で高い酒を飲み、女に溺れ、権力を背景に蓄財に奔走し、ストレスを発散することだけである。
ある意味で、彼らも犠牲者と言えるかもしれない(私は許さないが…)。
●人間に着目しなければ解決しない
政治の世界の広宣流布の旗手の誇りは失せ、主体性はどんどん失われていく。
故に、今後出てくるだろう「政治倫理規範」の策定などで、不祥事がなくなるとは思えない。
不祥事を起こすのは人間である。その人間を見なくて問題解決などできようはない。
「規範」や「綱紀」で縛ろうとしても、陰で行う悪事はなくならない。
公明党の不祥事続発の原因の一つとして「過度のストレス」を記した。
理不尽な、非常識な、出鱈目な要求に従い続けるのは地獄であろう。
彼らをおかしくするのは学会幹部であるとも言える。
おかしな者同士が原因も究明しようとせず、逆に更なるストレスを加えるならば、事態が更に悪化する。好転する筈はない。おかしな者は退場願うしか道はない。
それでも、公明党議員には正気を保ってもらいたい…。
これに少し付け加えるならば、それでも学会出身の議員ならば「歯を食いしばれ」「恩を忘れるな」と言いたい。
恩こそが、慢心を防ぐ道である。
恩を忘れたものが、不祥事を起こす。
民衆・父母・師匠の恩を忘れるな。
忘恩が国を滅ぼす。
忘恩が自らを滅ぼす。
3.具体的な改革への提言
どうせ、党の改革案には上らないだろうが、心ある関係者にはその頭の片隅に置いてもらいたいことがある。私の提言を三点だけ記しておく。
(1) 自立した政党へ
第一に、創価学会からの干渉を止めさせるべきである。
党の主体性を確保し、信濃町の学会本部(あるいは一部幹部)の理不尽な要求を拒否すべきである。
政治の上での判断を優先し、また、議員が培ってきた専門性から政策を判断すべきである。
学会幹部の選挙上のエサに配慮する必要などない。バラマキなど必要ない。
弱者のために有効だと思えば、超党派で議論してでも法案を成立させるべきだ。
その意味で、連立政権に拘る必要もない。
自分達が、国民・地域の住民のためと思えば、堂々とそうすればよい。
平和のため、大衆のため、真剣に戦えば民衆は応えてくれる。
学会幹部の機嫌を取る必要などない。一体、どこを向いて政治を行っているのだろうか。
確かに、学会の関与・干渉を止めさせるのは簡単ではないだろう。長年続いてきた習慣でもある。しかし、先ずは取り組み始めるべきではないだろうか。
放置しても、誰かが何とかしてくれる訳ではない。今の人達でやるしかない。
確かに、一度には達成できないだろう。それでも、段階的に関与を抑制し、自立した政党に変革すべきである。
(2) 職員の意識改革
第二は、職員の問題である。
一見すると公明新聞は自画自賛である。党機関紙の論調は世間一般とはズレていて、内部にしか通用しない論調が多い。
また、遠山事件を見れば分かるだろうが、国会議員だけの不祥事ではない。秘書(党職員)の不祥事でもある。
更に言えば、謙虚さに欠ける。世間一般から見れば、怠慢とも言える。
選挙も政策も学会に丸投げである。おんぶにだっこではいけない。
何点か掘り下げてみたい。
(a) 候補者選定
候補者選定も職員が自力で行うべきである。学会幹部にやらせるべきではない。
職員は、組織に分け入り、社会に溶け込み、目と耳を研ぎ澄ますべきである。有能な人材を探し出し、登用すべきである。
本人を説得するのは勿論、関係者、場合によっては勤務先に頭を下げるべきである。政治のため、否、社会のために協力を取り付けるべきである。
確かに、困難な作業であろう。一度に事が進まないこともあるだろう。それでも、政治に責任を持つならば、是が非にも意中の人物を擁立すべきである。祈って、道を開くべきである。
今は学会幹部に丸投げではないだろうか。学会幹部が提出してくる人物は、果たして、本当に適任者なのだろうか。
今の候補者選出には、様々な問題が内在している。
チーム3000は、党職員が責任を持って作り、運営すべきである。
党職員が主体者の自覚を持たない以上、社会にとって有意な人材は選出できない。
(b) 選挙態勢
選挙運動も党が主体となって行うべきである。
学会は「従」であるべきで、選挙には少し協力するだけでよいと考える。
今は、学会組織がフル稼働して、選挙を進めている。
旧・統一教会の政治支援が問題になっているが、学会はそれ以上だと感じている会員は多い。
何故なら、遊説隊、選挙事務所運営は勿論、友人知人への支援(F活動)など、旧・統一教会の比ではない。
現場の実態から言えば、会員個人の政党支援の自由を抑圧するのは、人権問題であろう。
学会幹部は自分より下の会員に強制する。修羅・畜生の生命である。
更に、ただでさえ愚かな幹部は、三か月、半年以上も学会組織を支援に駆り立てる。時間も金も一般会員は全て無償奉仕である。
もうこれ以上、学会の会員に負担をかけるのは止めるべきだ。
学会には「選挙の時に、少し協力してもらう」だけで勝てるように、党職員が前面に立ち、本気になって闘うべきである。
「学会員に頼めば何とかしてくれる」などと夢にも思ってはならない。
もうこれからは、職員が先頭に立ち、党が主体となって選挙を行うべきだ。学会組織が主体となっての選挙運動は止めるべきである。
(c) その他
全てを自分達でやるクセを身につけよ、と言いたい。
世論調査くらいはコンサル会社を利用するのは良いが、広報、印刷、政党の路線決定まで、丸抱えで全て委ねるのは止めるべきだ。
庶民感覚から大いに乖離している。公明にそぐわないポスターやキャッチフレーズがズレているのは、自分達でも気付いているだろう。
この選定も学会幹部の意見を聞いたのだろうが、ズレているものはズレている。
また、地区に一体何枚のポスターが必要なのか分かっているだろうか。そんなに枚数は必要ない。余れば、拠点の人が処分に困ってしまう。
また、貼ったら直ぐに剝がさなければならないようなポスターなどは不要だ。
更に、学会員に言えばタダで貼ってくれると思っているのだろうか。
そもそも、ポスターは職員が貼るべきだ。新規の掲示場所も開拓してもらいたい。
次から次へと人にやらせるべきではない。職員自らが動くべきである。
庶民から集めた党費も浄財である。集めた党費を広告代理店にくれてやる必要もない。今年(2022年)の参院選の結果をみれば分かるだろう。
彼らのアドバイスを聞く必要はない。学会幹部の関与も止めさせるべきだ。ズレている。
先ずは、職員自らが、自分の足で外部の方を訪問し、ドアを開けてもらい、様々な「小さな声を聞く」べきだ。それでこそ、庶民の感覚が分かる。自分達の五感を通して、世間を知るべきだ。「自分の頭で考えろ」「楽をするな」と言いたい。
(3) 外部人材の活用「外部候補者と外部の党員」
第三に、会員以外のリソースの導入である。
議員も職員も、学会本部・学会幹部ではなく、国民に顔を向けよ。
全てが学会と言う「閉じた世界」で動いている。外部候補を積極的に導入すべきだ。学会員以外の議員を擁立するべきだ。
先に、学会幹部の関与を減らすべきことを提案したが、一人でも会員以外の議員がいれば、学会幹部は行動を慎むだろう。
非常識な行動も会員以外の人間がいれば、ある程度、抑えられる。学会の内部だけで固めているから、おかしな幹部は増長する。
一般社会で活躍してきた外部の人材は遠慮などしない。忖度もなくなっていくだろう。
「おかしな学会幹部を排除したいなら、外部の候補者を積極的に導入すべきである」
一般常識を導入することは勿論、独善を排し、幅広い見識を得て、更に政策の質を高める必要がある。
また、党員に関しても学会以外の支持者を開拓すべきである。
今は学会員中心に党員を募っている。
既に知っている通り、学会の世帯の減少はひどいものがある。
学会組織の改革は学会に任せるしかない。
しかし、党が今後存続できるかどうかを学会に委ねる必要はない。仮に学会がどのような形になろうとも、一緒に心中する必要はないと言うことである。
当面、外部(会員以外)に支持層を設けない限り、公明党は衰退する。
学会幹部は、外部人材の導入には反対する筈だ。当然、組織の論理や従来の慣習は通用しなくなる。そんなことをすれば、中身のない自分の能力が晒される。権威が保てない。服従させられない。嫌がるだけではない。様々な理由を付けて妨害するだろう。
確かに、おかしな候補が入ってくる可能性もある。職員は人を見極める眼力も養わなければならない。規律を保つにも苦労するだろう。
しかし、学会依存や独善を排しない限り、公明党の未来はない。
内部の論理だけが罷り通り、たとえ正論で諌暁しようとも、気に入らないからと排除する。正常なフィードバックがかからないので、組織は暴走する。不幸をまき散らしながらの暴走に、内外の怒りは爆発する。そして、ますます支持は激減する。更に、一部の独裁者と彼らに支配された同調者によって、正論は駆逐され、暴走は果てしなく続く。
確かに、ここで取り上げたことを採用すれば、職員の負担は増えることになる。
しかし、それを行うのが職員なのではないだろうか。職員には、それに取り組む使命があると私は考える。
汚職に手を染める職員を見て思うのは、もし、楽して、金が儲かるなんて思っているなら、間違っている。
異なる主張、異文化に触れないと、いつしか独善となる。
普遍的な思考から逸脱し、世間の感覚からズレた政策ばかりとなってしまう。
やがて民衆の心は離れていく。
外部との交流、外部リソースの導入は不可欠だと考える。
以上、提言を3点だけ記してみた。
尚、ここで記した提言は、昭和45年5月3日開催の第33回本部総会の池田第三代会長の講演を基に考えたものである。
これは、新・人間革命第14巻「大河」の章に、要約した内容が紹介されているが、できれば、講演の原文を読むことが望ましい。是非、再読を。
党の改革を本気で考えるなら、そして、公明党の未来のためには、もう一度、この昭和45年の提言から出発すべきではないだろうか。
「解党的出直し」を本気で口にしているなら、是非読んでもらいたい。そこから考えてもらいたい。
4.最後に ~公明党に期待するもの~
様々記してきたが、当面、私が公明党に望む最低限の要望は、「自主・自立」「福祉」「平和」の三つの柱である。
(*) 自立した政党に(学会からの独立、自民党からの独立)
(*) 福祉:国民・大衆のための政治を(弱者を救い、不正を糾せ)
(*) 平和:もう一度、平和実現に政治生命を懸けよ
である。どうか議員・職員は目を覚まし、本来の公明党を取り戻してもらいたい。
御請訓に曰く。「夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く」(御書969頁)
日本に突き付けられている課題は実に多い。しかも難題だ。年金は既に陥落した。世界情勢は極めて不安定である。
公明の浮沈が日本・世界の動向を左右する。今の体たらくはこれまでの公明党の責任でもある。
党の個々の不祥事を「綱紀」や「政治倫理規範」で根絶できるなどとは思わない方が良い。
公明党の不祥事の根は深い。これからも続出していくだろう。
どこかで「流れを変える」必要がある。
今のどうしようもない不祥事の流れを、誰かが変えていくしかない。
「解党的出直し」「解党的再出発」
本気で変える気があるのなら、私は応援したい。また、応援してくれる会員も未だいるだろう。
変えるには大手術が必要だ。それは絆創膏を貼る程度の傷ではない。
成功する確率も低い。それでも、今やらなければ致命的になる。
創価学会は創価学会で、公明党は公明党で、それぞれ、心ある人間が変えていくしかない。