[6861] 題名:2,創価の人間主義
名前:ジョーカー
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投稿日:
2023/11/15(水) 21:59
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創価学会は折伏の団体である。折伏の経験上、言葉だけで信心をした人は見たことがない。折伏は、自分の生命と、相手の生命と向き合っていく作業であり、上辺だけの対話では通用しない。腹を決めて、10時間唱題をあげても、決まらない時は決まらない。だが、折伏を通して生命が磨かれていく。そして、最後に決めてとなるのが「これほどまでに思ってくれるのか」という、生命に響く何か。こうなった時、厳然と御本尊流布ができるのだ。
広宣流布は、言葉で納得させるのではなく、生命で納得させる戦いである。言葉だけで何とかなるような世界ではなく、生命に響く何かがあるのかないのか。生命に響くものの正体、それが題目です。まさに信心とは、題目を唱えるということです。創価学会は、題目による一人ひとりの繋がりがあるから強い。根幹に、折伏精神(題目)を漲らせての対話だからこそ本物なのだ。
創価の人間主義とは、どれだけ相手に題目を送っているかがベースとなる。自分のために題目を唱えるのは簡単であり、また、家族や親しい友人のために題目を唱えるのも比較的容易である。組織だけの繋がりの人、知り合い程度の人、自分のことを嫌いな人、自分自身が苦手な人等、こういった人にまで題目を送れるかどうか。仮に境涯を数値化するとすれば、何人の人に、何遍題目を送れるか。これが一つの基準と考えます。
人のために題目を唱えなくなると、組織主義や官僚主義に呑み込まれていく。人を意識し、大切にすることができなくなるからだ。どこまでも、自分自身との戦いがなければ、人間主義は貫けない。まさに創価の人間主義とは、自身も題目を唱え、人のためにも題目を唱える。そういった自分自身との戦いによって成り立っている。そのベースがあってこそ、自他共に納得の対話が展開できる。月々日々、自分自身を折伏し続けることが、私が創価学会で学んだことであり、日蓮仏法の根幹であると思うが、どうだろうか。
このように、一大教育機関である創価学会では、人として大事なことを学ぶ機会が、沢山存在する。当然、組織や幹部の問題はあるにせよ、プラスの面の方が遥かに大きい。日蓮仏法は学会精神として脈打ち、現代に息づいている。だからこそ創価学会は、世界的に弘まってきた。それは偏に、会員の、一人ひとりを大切にする人間主義の戦いがあったからこそである。
反対に、日興上人の正統である事を良いことに、大御本尊を盾にし、信徒をいじめまくる団体もある。挙句の果てには、1000万信徒を除名にし、赤誠を尽くして建立された正本堂を破壊。いかなる理由があろうとも、人としてあるまじき行為であり、常軌を逸している。それは、創価学会最大の反面教師としての位置付けとなる。即ち、「僧宝だから」「仏意仏勅だから」「創価学会だから」は、同じ穴のムジナとなる恐れがあるので要注意だ。
仏法は道理を重んじる。道理とは、人の道であり、誰もが納得(歪んでなければ)できる、バランスの取れた思考・行動である。道理を軽んじ、人間よりも組織の論理を重視し始めると、宗教は邪教化し、歪んでいく。そして、何が正しいか正しくないかがわからなくなる。人として、おかしいものはおかしいと思えなくなることほど恐ろしいことはない。宗教であろうとなかろうと、人としてどうか(振る舞い)が問われている。
結びに 竜女2様へ一言
「お相撲巡業、夫婦共々、大いに楽しんで来て下さい。健康・無事故で!」