[6152] 題名:桜里さんへ
名前:霞ヶ関リークス
◇RDIKU48zVU
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投稿日:
2023/10/02(月) 15:21
2001:ac8:88:2000:8e28:d35d:e7ba:7e0c(IPv6:m247-ltd-dublin) (2001:ac8:88:2000:8e28:d35d:e7ba:7e0c)
上代本家か分家の争いあり、石山では東坊地の係争後に板曼荼羅?
註法華経を日昭上人、(釈迦立像)を日朗上人に、日興上人には馬と小袖等。
本門寺で言えば西山本門寺と北山本門寺での二箇相承の件。
大石寺は後、自宗に有利な『日興跡条々事』を作成。
大石寺の中では、東坊地の係争……大石寺御影堂と奥州の勢力……日時と奥州・下野との関係があります。
「右為現当二世造立如件 本門戒壇之 願主弥四郎国重敬白」
「右、現当二世の為に造立件(くだん)の如し。本門戒壇之(の)願主・弥四郎国重、法華講衆等に敬って白す」
造立したのは、願い主・弥四郎であって、それを法華講衆に謹んで告げているという文章です。
弥四郎国重は板本尊の願主ではなく、あくまで戒壇の願主なのです。
板刻されている、弥四郎国重とは、板曼荼羅を造立したその人なのです。
実際に木に刻み彫刻した人、あるいは仏師に、その彫刻を依頼した人という意味です。
この「造立件(くだん)の如し…敬白」とは造立した本人が記す銘文の常套句です。
この端書は聖人の筆跡とは違うし、年号には大歳が書かれていなく、聖人は、曼陀羅の年号には大歳を書かれていますね。
「現当二世」や「法華講衆」が現れるのは、確認できた史料では、日時師が初見です。
大石寺所蔵の宗祖真筆をもって模刻造立された門流最古の二体の板本尊が奥州末寺にて造立されています。
戒壇板本尊の造立も、このような奥州・野州信徒の大石寺経営への関与と関係があります。
日有以前の板本尊が末寺に現存し須津野鳥窪の住持日伝に授与された通称、紫辰殿本尊の模刻で、
現在大石寺宝蔵に安置されている分、もう一体は、小金井蓮行寺に所蔵するやはり紫震殿本尊の模刻で、
時の住持三河阿闇梨日満(蓮行寺九代)が願主となって造立した板本尊
この本尊は、表面右下に
「日有(在判)」とあるが、裏面には「三位日恵奉彫刻之」とあり、日有が用意した紫震殿本尊の模写
をもって末寺にて彫刻造立したということである。もしそうであれば、日有には直接板本尊の
造立を手がけた事実はないことになる。