[6103] 題名:創価学会の理念と行動を「識者」は評価
名前:桃太郎
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投稿日:
2023/09/30(土) 20:28
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1993.5.3 スピーチ
「今回、名誉会長が訪問された南米諸国のほとんどが、カトリックの国です。その国々で、大統領や大学などから、数多くの顕彰を受けられたことは、それ自体、名誉会長が、異文化への理解と寛容性をもたれた偉大な指導者である証明です。本当に素晴らしいことです」
カトリックの国で日本の仏教者が、これほど評価されることは並大抵のことではないと言われている。普通なら全部、相手にされないか、批判だけである。それでは広宣流布はできない。その国のために、その国を理解し、その国に尽くしていく──私は常にその決心できた。
私がこの方(日本を代表する宗教社会学者)と、初めてお会いしたのは、もう二十数年前のことになる。その時の思い出も回想されたという。
「名誉会長と初めてお会いした時のことは、いまだに忘れることはできません。その時、名誉会長は言われました。『カトリックの人々は、苦難の歴史、苦闘の道を歩まれた。そうした行動の次元においてカトリックは、私たちの″兄″といっても過言ではありません』と。私はまず、その謙虚な言葉に驚きました」
キリスト教は、弾圧に次ぐ弾圧、殉教に次ぐ殉教を経て、世界へと広がった。近年の日蓮正宗の僧侶のだれが、そうした努力をしたのか。だれもいない。大聖人の仏法を初めて世界へ流布したのは学会である。
教えの浅深は別として、世界への″行動″という観点から、私は″兄″と申し上げたのである。
「その折、私は『究極に求められるものは何でしょうか』と質問しました。恐らく″板曼荼羅の御本尊″と答えられると思っておりましたが、しかし、名誉会長は『久遠元初の法です』と答えられたのです」
「このことから、名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、板曼荼羅に、偏狭にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見た思いでした。以来、学会への協力を決意し、今日にいたっております」
もとより御本尊が、私たちの「根本尊敬」の対象であられることは言うまでもない。そのうえで、曼荼羅それ自体は、物体という側面からいえば永遠不滅ではありえない。
当然、そこに計り知れない御仏意があられると拝されるが、曼荼羅としてあらわされた「法」は永遠である。
いずれにしても、大聖人の仏法の真髄である「久遠元初の法」を根本としてこそ、永遠の妙法流布の道が開ける。この方は、そこに普遍的なものを感じとられたのであろう。