[5516] 題名:師弟or我見
名前:末端信者
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投稿日:
2023/08/13(日) 18:10
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先生指導(抜粋)です。
『 「無疑曰信」とは、疑って疑いぬいて 最後に到達する不動の信ということです。 』
「その無知や疑いに対して妥協するのではなく、ますます求道心を起こして 少しでも知っていこうとする。
それが、深い信心という。」
『正法を信ずる者は、賢明でなくてはならない。
正義を装った邪義に、決して誑かされてはならない。
そのためには、あくまでも法の道理を基準にすることである。
仏法の本義をもととして、正邪、善悪を正しく判断することである。
あまりにも明確であり、論ずるまでもない「基本」であったかもしれない。
しかし最近、この「基本」を忘れている人が多いようだ。そこで少々語らせていただいた。』
『″内部から崩れた″と。内側が腐敗してしまった。堕落してしまった。
万有流転といおうか、″興亡″の歴史の方程式は、昔も、そして今も同じである。
彼らは、貪欲に、名利の追求に狂奔した。
頭の中は″仏道″ではなく、″金儲け″のことばかりになってしまった。
「法の正邪」に対する厳しさは薄れ、
都合のよいように書き換えられた偽の経典が流行した。
その経典にかこつけて、民衆をおどかし、だまして、金品を巻き上げた。
「法」の純粋性を守り、後世に伝えゆく使命など、いつしか完全に放棄してしまった。
許されざる「仏法利用」「信仰利用」である。』
『 大聖人は、「守護国家論」で述べられている。
「道俗法の邪正を分別して其の後正法に就て後生を願え
今度人身を失い三悪道に堕して後に後悔すとも何ぞ及ばん」
──出家も在家も、法の正邪を分別した上で、正法に従い、後生の安穏を願うべきである。
このたび(今世で邪法を信じたため、来世で)人に生まれることができず、三悪道に堕ちてしまえば、
後で後悔しても、取り返しがつかないであろう──と。
邪師を信じれば、今世のみならず、未来世にわたって大苦悩を受ける。
後悔しきれない大不幸である。″僧も俗も邪正を、はっきり見極めよ″と御本仏は強く仰せである。 』
『 牧口先生は、「正邪の決着をつける」ことが、人々に「動執生疑」を起こし、
人々を正義に目覚めさせることになると知っておられたのである。
そうさせていくことが慈悲であり、勇気なのである。
仏法の正邪は厳しい。悪と戦いぬいてこそ、善なる生命が生ずる。大功徳がわく。
それを心に刻んでいただきたい。 』