[5514] 題名:躍進
名前:FT
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投稿日:
2023/08/13(日) 06:35
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一、作家・吉川英治氏の随筆(『折々の記』、『吉川英治全集』52所収、講談社)に、こうあった。
「育つものを見るのは気もちがいい。ぼくは、育つものが好きである」
吉川氏は、「土」でいうなら、新芽が土を割って出る5月の大地が好きだという。私も同じである。
「反対に、おなじ土でも、たとえば現代の寺院などに立ち入ると、あの数世紀間も踏みかためられたまま、冷んやりしきった土」は、「育つものを生む何の力も失った」土であり、「何の希望もよろこびも足の裏から触れて来ない」と氏は比較している。 その通りと思う。至言である。
また、「人間のばあいにしてもそうである。『もう育ちはない』と思われる人と対坐していると、堪らない退屈が座間にただよい、こっちも、やりきれないものに鬱してしまう(憂欝になる)」と。
氏は「育つ人、育ちのない人の差」は、年齢には関係がない、年をとっていても「ゆたかな生命のひろがりを覚えさせる」人もいる、と書いている。
随筆を、氏は、こう結んでいる。
「地球自体の生態は、四季不断に、何かを育てたがっているものにちがいない」と。
宇宙には「育てる力」がある。生命には「育つ力」がある。
氏の言うように、地球は、いつも何かを「育てよう」としている。春も夏も秋も冬も。花を育てよう、野菜を育てよう、木を育てよう、と。
宇宙の「育てる力」。生命の「育つ力」――その根源が妙法である。その実践が信心である。
「妙とは蘇生の義なり」(御書947ページ)と日蓮大聖人は仰せである。
妙法に連なっていけば、どこまでも生き生きと「成長」「発展」の軌道を進んでいける。個人も、団体も、国も、この方程式は変わらない。ゆえに信仰者とは「育ち続ける人」でなければならない。
伸びていく樹は美しい。伸びていく人間は美しい。生き生きと光っている。
成長もなく愚痴や批判ばかり、妬みばかりの人生は、感動もなく、美しくもない。
法華経の薬草喩品に、こうある。
「一切の諸樹は 上中下等しく 其の大小に称いて 各生長することを得」(妙法蓮華経並開結248ページ)
――すべての諸々の樹木は、(性質や能力などで)上の木も、中ほどの木も、下の木も、平等に、その大小にしたがって、それぞれが生長できる――と。
人間にも、さまざまな機根がある。しかし、だれびとたりとも、「信心」があるかぎり、妙法の雨に潤い、ぐんぐん伸びていける。育っていける。その広々とした生命の法理が、ここには説かれている。
私どもは生活に「根」を張り、希望の「太陽」に顔を向けて生きたい。そして本年を、老いも若きも、生き生きと「伸びゆく年」にしてまいりたい。
一、日蓮大聖人は、関東の天地で活躍する門下の曾谷殿――今の千葉県、茨城県の一部にあたる下総の曾谷教信に、こう仰せである。
「今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり、所謂地獄の一人・餓鬼の一人・乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり顕る、譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し」(御書1046ページ)
今、法華経という経は、一切衆生を仏にする秘術をそなえた御経である。いわゆる地獄界の一人、餓鬼界の一人、(さらに畜生界、修羅界……という)九界の一人を仏にすれば、一切衆生が、みな仏になれるという法理が、あらわれる。たとえば、竹の節を一つ破れば、他の節も、次々に破れるようなものである。
(十界互具であるゆえに、たとえば地獄界の一人が成仏できるということは、その地獄界を具す九界の人々も成仏できる証明となる)――。
病気、経済苦、心の苦しみ――地獄の苦悩にある「一人の人」。その人を成仏させられるかどうか。その人が絶対の幸福をつかめるかどうか。それができるのが法華経である。それができることが、一切の人を救える証明となるのである。仏法は大きい。一切を救う。その大きさも「一人の人間」に集約され、すべて含まれているのである。
「一人」が成仏すれば、周囲の人々をも成仏の軌道へ導ける。
一家も、一族も、また友人も、たとえ地獄界、餓鬼界の苦しみにある人であっても、希望や幸福へと方向づけてあげられる。それが妙法の力である。
「一人の人間革命」が、やがて「世界の変革」をも、成し遂げていく――その根本原理も、ここにある。
ゆえに、大事なのは、強盛なる信心の「一人」である。一人の「一念」であり、「心」である。
環境がどうあれ、魂の「金の城の人」が一人いれば、「黄金の人材」さえ一人いれば、すべてを良き方向へ、幸福の方向へと開いていける。
この「真剣の一人」を育て、「真剣の一人」に育ちながら、私どもは進んでいきたい。