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[5479]

題名:極悪、仏敵に対して布施を止めよ

名前:FT

◇S3OiZExQd2
MAIL 投稿日: 2023/08/10(木) 07:34 p012.net042127106.tokai.or.jp (42.127.106.12)

現代において僧侶、僧とは広く柔軟に解釈しなければいけない、分かりやすく言うならば宗教を生活の糧としている者になる。極悪、仏敵の学会の職員もこれにあたる。そして供養とは具体的に学会の職員、大石寺の坊主らを含めた全ての邪宗、邪義で働いている謗法の者が、会員、講員、信者等から集めた基金、供養、会費、機関紙代、上納金等で得た金や物品等全てにあたる。その上で池田先生はこう言われてます。
大聖人は、「謗法の僧を厳しく対治することは罪になるか」との問いを設けられ、「当に苦治すべし尚罪有ること無けん」(在家の者等は悪侶を)必ず厳しく対治しなさい。まったく罪などないと経文(涅槃経)を引いて明快に断言されている。
「苦治」すなわち仏敵が苦しむほど厳しく対治してこそ、祈りはかなう。泥を捨ててこそ、清水が飲める。雲を払ってこそ、太陽の光を浴びられる。ガンは切除してこそ、薬も効き、健康体になる。
 極悪は、徹底して″強く″責めねばならない。この御文に照らして″責めすぎる″などということはない。大聖人は、邪悪の僧を由比ケ浜に並べて斬首せよ、とまで仰せである。(「彼等が頸をゆひ由比のはま浜にて切らずば日本国必ずほろぶべし」)
 当時の武家社会に即して厳しい表現になっているが、いわんとするところはその烈々たる謗法呵責の御精神にある。それを深く拝するがゆえに、功徳もいやまして大きく、早く出ている。これが仏法の不思議なる力用なのである。
「狗犬の僧」──″こっそり供養を貪る僧″のことを大聖人はこう仰せである。
 「供養」を、法のため、大聖人のため、「広宣流布」のため以外に使う僧侶は、「犬」であり畜生であると。
 さらに「是は未来には牛頭と云う鬼となるべし」 これは未来に牛の頭をした牛頭という鬼となる──と。人間ではなく卑しい餓鬼道に生まれる、というのである。
また「こっそり」でなくとも、″堂々と″供養を受けながら、それを横領する僧は、どうなるか。
「是は未来には馬頭と云う鬼となり候」この僧は未来、馬の頭をした馬頭という鬼となると。
未来に「鬼」となるということは、現在、かたちは「人」でも、生命は「鬼」ということである。
どんなに偉そうに振る舞って、聖人ぶっても、正法破壊の彼らの本質は、「餓鬼」なのであり、さらには「地獄」の命なのである。
大聖人は、正しき信心の人は「釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」と仰せである。
「仏敵」と戦えば「仏の味方」
また四条金吾へのお手紙には、こう仰せである。
「法華経の御かたきをば大慈大悲の菩薩も供養すれば必ず無間地獄に堕つ、五逆の罪人も彼を怨とすれば必ず人天に生を受く」
法華経の敵に供養すれば、どんな大慈大悲の菩薩であっても、必ず無間地獄に堕ちる。反対に、五逆罪の罪人であっても、その仏敵と戦えば、必ず人界・天界に生を受ける──と。
 「大慈大悲の菩薩」であっても、地獄に堕ちる罪──これが「仏敵を供養する」罪である。反対に仏敵と戦えば、大罪の人でも「幸福」になる。
 仏法はどこまでも仏と魔との「戦い」であり「勝負」である。感情論ではない。仏敵と戦わなければ、その人は仏敵であり、戦えば仏の味方である。中間はない。これが御本仏の仰せである。
 




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