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[5300]

題名:学会員さん

名前:桃太郎

MAIL 投稿日: 2023/07/25(火) 17:21 203-135-195-148.ppps.bbiq.jp (203.135.195.148)

松野殿御返事(十四誹謗抄)

<現代語訳>

松野殿からの手紙に「法華経を受持して後、退転することなく、方便品の十如是と寿量品の自我偈を読誦し、題目を唱えています。しかし、その題目も、聖人が唱えられる題目の功徳と、われわれが唱える題目の功徳とでは、どれほどの相違があるのでしょうか」との御質問があった。

 そこで、その質問にお答えするのだが、題目の功徳には、まったく勝劣はない。その理由は、愚者が持っている金も、智者の持っている金も、また、愚者がともす火も、智者がともす火も、何ら差別、相違がないのと同じ道理である。但しこの法華経の心にそむいて題目を唱えた場合には、差別はあるのである。

...

法華経第四の巻の法師品第十には「もし在家の身であれ、あるいは出家であれ、法華経を持ち、説く者に対して、一言でもそしるならば、その罪報の多いことは、釈迦仏を一劫の間、面と向かってそしった罪よりも重い罪をうける」と、説かれている。

 あるいは普賢菩薩勧発品第二十八に「もし事実にしても、あるいは事実でないにしても、法華経を持つ者の悪口をいえば、その罪は重い」とも説かれている。これらの経文に照らして考え合わせるならば、かりにも法華経を持つ者を、互いに、そしってはならないのである。その理由は、法華経を持つ者は、必ず、みな仏なのであって、仏をそしれば罪をうけるのは、当然だからである。

 このように心得て唱える題目の功徳は、仏の唱える功徳と等しいのである。

※学会員さん

「若実若不実」です。

「もし事実にしても、あるいは事実でないにしても、法華経を持つ者の悪口をいえば、その罪は重い」

この御聖訓をしっかり胸に刻んで下さい。
大聖人の御聖訓を無視して、「悪知識」に同調すれば、如何に師匠を仰ぎ、題目を唱えようと功徳はありません。

「但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり」この御聖訓も忘れずに。




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