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創価学会も日寛教学から脱却出来ず、血脈相承・日蓮本仏・六大秘法等をハッキリ出来ておらず、ヤケクソ教学に成り下がっているが、波田地克利の八重の相対はそれを超えたトンデモ論だろう。
(https://twitter.com/araya__souren/status/1681526936663912449?t=VQlg9R7HIdK3NdINbH1JZw&s=03)
日寛教学は悪いと思わないし、私ははたちさん支持します。
(https://twitter.com/snowmoon12/status/1681528865687224321?t=v9NfxNrUuzWo848iy9L2Ag&s=03)
yuki さんには以前にお世話になり、言い難いが私には日寛教学が何故良いのか分かりません。
血脈相承や大御本尊の正統性を主張する日蓮正宗ならまだしも、法主信仰から離れて創価学会も離れた波田地グループが支持する事に理解出来ません。
(https://twitter.com/araya__souren/status/1681544900364611585?t=OxzHWhRDK028ck5Pr1YRLQ&s=03)
こちらこそ、お世話になりありがとうございました。
創価学会の根本は牧口先生、戸田先生、池田先生ですので、戸田先生が「教学は日寛上人の時代に帰れ」と述べたことをないがしろにしてはいけないと思います。
(https://twitter.com/snowmoon12/status/1681553173268529152?t=g7Xj_h65oNdXz2TghCMqgw&s=03)
それからはたちさんが述べていることは、第一次宗門問題の前に池田先生や日蓮正宗の日達氏、日顕氏の間で話されていたことを復活させる(元に戻す)ということだと私は理解しました。
私は宗門問題の前の状態に話を戻す件に賛成です。
(https://twitter.com/snowmoon12/status/1681553861046337536?t=4S3JCgeeGwztQD-Yhu5JBA&s=03)
禿同です。Yukiさんは、心が真っ直ぐだから如実に知見できるのでしょうね。波田地氏の言っていることは、“自己流の教学”ではなく、戸田先生の『創価学会の歴史と確信』に始まり、大客殿が落慶し正本堂の御供養が始まる昭和39年~40年の最も僧俗和合が高潮した頃の日蓮正宗創価学会の“正式な教学”です。
(https://twitter.com/Shukubo_hobo/status/1681716273363959808?t=40lP2fxIM0KzeoFen84uEQ&s=03)
「私の内証は、地涌の菩薩の棟梁である。外用は、折伏の大将である」(昭和28年12月23日、戸田会長全集第4巻)
「戸田前会長は、牢獄の中、御本尊のないところで、大宇宙に向かって二百万遍の題目を唱え、法華経を色読され、地涌の菩薩の棟梁としての開悟をされた」(池田会長指導『前進』52年6月号)
「広宣流布の時には、不開門が開きます。一義には、天皇という意味もありますが、再往は時の最高の権力者であるとされています。すなわち創価学会の会長がその先頭になることだけは仏法の方程式としていっておきます。後々のためにいっておかないと、狂いを生ずるからいうのです。私は謙虚な人間です。礼儀正しい人間です。同志を、先輩をたてきっていける人間です。そのため、かえってわからなくなってしまうことを心配するのです。そうなれば、こんどは皆さん方が不幸です。学会も不幸です。本山にも不祥事を起こしてしまう。その意味において、きょうは、いいたくないことでありますが、将来のために私はいっておきます。
私が不開門を開いて、このように広宣流布いたしましたと猊下をお通し申して、一閻浮提総与の大御本尊様にご報告することが、究極の、広宣流布の暁の、その意義なのであります。それまでがんばりましょう(大拍手)」
「会長が“不開の門”開く」 1965.7.25 「会長講演集」第13巻
(https://twitter.com/Shukubo_hobo/status/1681729656939253760?t=PI4BHQ1zDVB5I2HKGSvzww&s=03)
池田先生は昭和47年10月1日、正本堂の建物が完成した完工式の席上、内外の来賓六千人を前に、“聖職者のための殿堂になるくらいなら、ない方(無教会主義、無殿堂主義)がましだ”と宣言されたように、本音をズバリ仰る方です。
https://t.co/LTt3N3XQOC
不開の門の話、三代会長の仏法上の位置も同じ。
池田先生が心配されたように、先生が一度しか仰らなかったために、三代会長が地涌の菩薩の棟梁であることが分からなくり、学会員も学会も不幸になり、宗門も不祥事を起こしてしまいました。“池田本仏論”というレッテル貼りに萎縮し同調し、「池田賢王論」の正義を堂々と唱えなくなった法罰ですね。
池田先生は2013年夏、「深く大きく境涯を開き、 目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」と私たち弟子に仰った。発迹顕本とは何か。
戸田先生は『創価学会の歴史と確信』で学会の中心思想である、三代会長が地涌の菩薩の棟梁であるとの確信が学会に瀰漫(びまん)することが発迹顕本であると仰った。
「第二代会長推戴署名運動趣意書」の末尾に「戸田城聖先生は何物かを御つかみになったらしい」とあるが、これこそ『創価学会の歴史と確信』の「路上の悟達」で掴んだ学会の中心思想──自身が地涌の菩薩の棟梁であるとの確信である。この確信を得て会長に就任したことをもって学会の発迹顕本とも仰っている https://t.co/NVv0DAImPU
しかし、それは、戸田先生お一人の発迹顕本であって、本当の意味での学会の発迹顕本は、戸田先生の得た確信が学会に瀰漫する(広がりはびこる)ことであった。その意味で昭和39年~40年頃はかなりいい線まで行ったが、その後、言論問題、第1次宗門問題でその確信は語られなくなり、忘れられてしまった。
つまり、創価学会の発迹顕本は未だ達成されてないのである。だから、池田先生は「深く大きく境涯を開き、 目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」と仰ったのである。
三代会長を地涌の菩薩の棟梁、観心本尊抄の賢王であると確信し、自身もそれに連なる地涌の菩薩であるとの自覚に立つ時、全ての貧・争・病などの苦難は、菩薩として同じ悩みを持つ人々を救うために、願って業を兼ねた姿に他ならず、祈りとして叶わざるなしの大御本尊の力用によって、全てをいい方向へ転換してゆくことができるのである。
自身の悲哀を征した後は人類の宿命転換に向かうのみ。絶対的幸福とはこのことである。
(https://twitter.com/Shukubo_hobo/status/1681759759685545984?t=pJlQeuHhowGVswBDOry2cw&s=03)