[4577] 題名:「持たず」「作らず」「持ち込ませず」
名前:霞ヶ関リークス
◇5WBnmh.AZo
MAIL
投稿日:
2023/05/18(木) 15:20
2001:ac8:88:4000:b7e4:3787:2e7:7d92(IPv6:m247-ltd-dublin) (2001:ac8:88:4000:b7e4:3787:2e7:7d92)
教科書で必ず教わる、
日本の平和主義の象徴である
この「非核三原則」が
全くの嘘っぱちであったこと。
戦後の平和を謳歌していた
日本国民は知るよしもなかった。
一見平和に見えたその裏では、
アメリカと日本の政府の間で
ある極秘の取引が進んでいた。
左翼の平和主義者が
「憲法9条を守れ!」
「9条があったから日本は戦争に巻き込まれずに済んできた」
と叫ぶ一方で、
実は、日本はアメリカの軍事基地と化していたのです。
その恐ろしい実態とは?
衝撃の事実①
沖縄がベトナムへの
「核攻撃の策源地」となっていた
ベトナム戦争時、沖縄からベトナムに派遣された
米陸軍第173空挺旅団に、小型核の一種「核地雷」
を扱う小隊が置かれていたというのです。
日本復帰前の沖縄には核地雷を含め、
さまざまな核兵器が配備されていたことが
米国防総省の公文書で明らかになっています。
核地雷は陸軍や海兵隊で扱われ、
沖縄の米軍基地では核地雷を用いた訓練に
参加したとする元海兵隊員の証言も出ています。
衝撃の事実②
1960年代、佐藤栄作政権の時代に、
日本は極秘裏に核兵器の開発を検討していた
1964年の中国による核実験をきっかけに、
佐藤政権は核開発の検討に着手し
秘密報告書をまとめ上げていました
また、外務省は当時の西ドイツ政府との間で、
核開発に関する極秘交渉も行っていました。
衝撃の事実③
沖縄返還の見返りとして核密約を結ばされた
1969年、
佐藤栄作首相と米国のニクソン大統領が、
沖縄の本土復帰の条件として、
有事の際に沖縄への核兵器の再持ち込みを認める
密約を結んでいました。
さらに、この核密約を結ぶ前に、
日本政府は、核搭載艦船の寄港を
日米安全保障条約上の事前協議の対象にしない
とした密約も結んでいたのです
そしてこの事実を告発した
ある1人の外交官がいました。
彼はこれらの取引の現場に
外交官として立ち会っており、
のちに外務次官にまで上り詰めた人物でした。
しかし、なぜ、外務次官にまでなった人物が
危険を冒してまで国家機密を暴露したのでしょうか?
彼は、死の直前にインタビューでこう答えています。
「日本という国の至高な利益が
脅かされるような緊急事態になったら、
核兵器を持つというオプションも
完全にはルールアウトしない。
日本において、核に関する真剣な、真面目な、
しかも実態の脅威を頭に入れた議論を
巻き起こすべきなんです」
つまり、彼のこの発言によってわかることは、
日本は戦後、核に関する、現実的な議論が
いかになされてこなかったか、ということなのです。
日本は「非核三原則」を掲げながら、実際には
米軍によって核兵器が持ち込まれていたわけで、
政府は嘘をついていたことになります。
ただしかし、
なぜそのような嘘をつかざるを得なかったのか?
それは、アメリカに飼い慣らされ、
お花畑の平和主義に毒された日本国民の側には、
もはや真実を受け入れる勇気がなかったからなのです。