[4428] 題名:ありのまま見ても
名前:[六本木・鳥居坂下経由] 【赤羽橋廻り】田町駅東口(港区スポーツセンター)
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投稿日:
2023/05/11(木) 12:04
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虚心坦懐に見てもキリステの説法は、4422から変わらず
ああ!虚心坦懐に見れば、下記の御文が当てはまるな
總じて餓鬼にをいて三十六種類相わかれて候。
其中に【護[言→金]】身餓鬼と申すは目と口となき餓鬼にて候。
是は何なる修因ぞと申すに、此世にて夜討強盗などをなして候によりて候。
食吐餓鬼と申すは人の口よりはき出す物を食し候。
是も修因是の上し。又人の食をうばふに依り候。
(※食べかけメロンのおさげを有難く食べさせられた事件があったよね
食べた人たちの過去は・・)
食水餓鬼と云ふは父母孝養のために手向る水などを呑餓鬼なり。
有財餓鬼と申すは馬のひづめの水をのむがき(餓鬼)なり。
是は今生にて財ををしみ、食をかくす故也。
(※なるほど財務省や「国の借金が―」とか言っている経済学者の事ですね)
特に斬り捨ての場合は、虚心胆管に見ても 当に下記の御文そのもの
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
無財がきと申すは生れてより以来、飲食の名をもきかざるがき✨なり。
飲食【おんじき】の部分を仏に置き換えて読んだり
数学に置き換えて読んだりしてもよく
つまり狭い視野の範囲でしか生きていない二乗の事なんだよな
だから「無財餓鬼の戯言」と喝破できるんですが・・・