[3964] 題名:池田先生指導(抜粋)です。
名前:末端信者
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投稿日:
2023/04/09(日) 13:19
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「ただ一えんにおもい切れ・よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」
広宣流布の戦いは、末法万年尽未来際への、長い長い遠征である。
目先のことで、一喜一憂することは、まったくない。
何があっても、「信心」で勝つことだ。
幹部でありながら、傲慢で同志と調和もとらず、正しい意見をきかない。
そういう連中は、遠慮なく去ってもらうべきだ。いな、追い出していいのだ。
そういう彼らが組織の実権を握ると、自分自身の名誉や金儲けのために、学会を利用する。
広宣流布のことなど、全然、考えない。
場合によっては除名することだ。それが、慈悲である。
それが、仏法の平等大慧の民主主義の法則である。
牧口先生の時代も、戸田先生の時代も、そういう幹部は、厳しく呵責し、悪を切られた。
ここに、峻厳なる仏法の鉄則があるからだ。
「悪は多けれども一善にかつ事なし」
大事なのは「連帯」だ。
負けないために、そして勝っていくためには、正義の連帯をつくることだ。
仏法が志向するのは、人間性の極意の振る舞いだ。
正しき仏道修行の深まるところ、いかなる差異も超え、どんな人たちとも心を開いて、仏縁を結ぶことができる。
出会った人と、笑顔で友情を結び、仲良く心を通わせることができるのだ。
ルーズベルト大統領も、語っている。
「有効と思われる解決方法は多くありますが、
ただそれについて議論しているだけでは何の解決にもなり得ません。
我々は行動しなければならないのです。迅速に行動しなければならない」
ともかく、種を蒔くことだ。自らが種となって、乾いた大地に飛び込むことだ。
手を打ち続ける以外に、広宣流布の前進はない。
「不惜身命」で祈り戦ってこそ、沸々と現れる力と智慧がある。
その満々たる大信力と大行力をもって、初めて破れる壁がある。
長い人生の途上には、いやな思いをすることも多々あろう。
どのような状況下におかれようとも、この信心の電流だけは絶対に切ることなく、
現実の諸問題に挑戦していっていただきたい。
この粘り強い実践の繰り返しのなかにこそ、
信仰の”根っこ”も、人生の”芯”も、しぜんのうちに確立されていくのである。
仏法の世界にあっては、一時的に失敗のようにみえても、
あとになって振り返ってみれば、その失敗もぜんぶ生きてきているものである。