[3901] 題名:日中記者交換 「女スパイ陳香梅」の叔父にあたる、廖承志氏が中国側の立案者だった
名前:霞ヶ関リークス
◇1CQNF5tybI
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投稿日:
2023/04/07(金) 21:01
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当時アメリカや西側にとってはソ連が一番脅威だったので、逆にソ連と対比している中国
共産党は、70年代はまだ国際社会の脅威にならなかった時代です。
だから日本も、その時アメリカの対中国政策に賛同して、「中国の悪口を言わない」という
ことをのんで、日中関係を正常化したわけです。
しかし、それは冷戦時代の結果なのです。
1991年にソ連が崩壊した後に、この冷戦構造はもう壊れているわけです。
しかし日本は、この冷戦構造ができた後も、冷戦構造が壊れた後も、日中関係を今までずっ
と引きずっているわけです。
そこでその記者協定というものがまだ日本の首にぶら下がって、何かあったらお前たちは、
日中記者交換協定に違反したというふうに中国から責められるわけです。
日本のメディアは80年代から90年代、冷戦時代が終わった後に、いわゆる日中記者交換協定
というものを撤廃するべきでした。
なぜなら日中記者交換協定という約束というものは、日本の言論の自由を侵害するものなのです。
つまり、あれは「中国の真実を日本には伝えるな」ということの口かせです。
それを取り外せないで、いまだにまだ口にそれを入れているということは非常に残念なこ
とです。
だから日本の言論の自由を侵害するものなので、1日も早くいわゆるこの日中記者交換協
定というものを撤廃して、日本の言論の自由を日本は自分で守るべきだでしょう。
ところが、この間に日中の力関係が完全に逆転しているのです。
1970年代といえば、中国も初めは経済的にも本当に世界の最貧国の1つで、経済発展
も何もなくて、日本やアメリカやヨーロッパに助けてもらわなければ、とても経済が破たん
して国家が崩壊する寸前までいっていたのです。
だから、ああいうことになって、アメリカとも日本とも国交を結んで経済的に解放してやる
しかないということになって、資本主義のやり方も部分的に取り入れていこうということ
になったのです。