宿坊の掲示板
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[381]

題名:原田学会に現罰が必ず出る!!

名前:FT

◇S3OiZExQd2
MAIL 投稿日: 2022/08/28(日) 20:25 p245.net042127101.tokai.or.jp (42.127.101.245)

顕謗法抄
「第一に八大地獄の因果を明し、第二に無間地獄の因果の軽重を明し、第三に問答料簡を明し、第四に行者弘教の用心を明す。
第一に八大地獄の因果を明さば、
第一に等活地獄とは此の閻浮提の地の下・一千由旬にあり此の地獄は縱広斉等にして一万由旬なり、此の中の罪人は、たがいに害心をいだく若たまたま相見れば犬と猨とのあえるがごとし、各鉄の爪をもて互につかみさく血肉既に尽きぬれば唯骨のみあり、或は獄卒手に鉄杖を取つて頭より足にいたるまで皆打ちくだく身体くだけて沙のごとし、或は利刀をもつて分分に肉をさく然れども又よみがへり・よみがへりするなり・此の地獄の寿命は人間の昼夜五十年をもつて第一・四天王の一日一夜として四天王の天人の寿命五百歳なり、四天王の五百歳を此れ等活地獄の一日一夜として其の寿命五百歳なり、此の地獄の業因をいはば・ものの命をたつもの此の地獄に墜つ螻蛾蚊蝱等の小虫を殺せる者も懺悔なければ必ず此の地獄に墜つべし、譬へばはりなれども水の上にをけば沈まざることなきが如し、又懺悔すれども懺悔の後に重ねて此の罪を作れば後の懺悔に此の罪きえがたし、譬へばぬすみをして獄に入りぬるものの・しばらく経て後に御免を蒙て獄を出ずれども又重ねて盗をして獄に入りぬれば出ゆるされがたきが如し、されば当世の日本国の人は上一人より下万民に至まで此の地獄をまぬがるる人は一人もありがたかるべし、何に持戒のをぼへを・とれる持律の僧たりとも蟻虱なんどを殺さず蚊蝱をあやまたざるべきか、況や其外山野の鳥鹿・魚鱗を日日に殺すものをや、何に況や牛馬人等を殺す者をや。」
第二に黒縄地獄とは等活地獄の下にあり縦広は等活地獄の如し、獄卒・罪人をとらえて熱鉄の地にふせて熱鉄の縄をもつて身にすみうつて熱鉄の斧をもつて縄に随つてきり、さきけづる又鋸を以つてひく・又左右に大なる鉄の山あり山の上に鉄の幢を立て鉄の縄をはり罪人に鉄の山をををせて縄の上よりわたす縄より落ちてくだけ或は鉄のかなえに堕し入れてにらる此の苦は上の等活地獄の苦よりも十倍なり、人間の一百歳は第二の忉利天の一日一夜なり其の寿一千歳なり此の天の寿一千歳を一日一夜として此の第二の地獄の寿命一千歳なり、殺生の上に偸盗とて・ぬすみを・かさねたるもの此の地獄にをつ、当世の偸盗のものをぬすむ上・物の主を殺すものこの地獄に墜つべし。
第三に衆合地獄とは黒縄地獄の下にあり縦広は上の如し多くの山二つづつに相合へり、牛頭・馬頭等の獄卒・手に棒を取つて罪人を駈りて山の間に入らしむ、此の時・両の山迫り来て合せ押す身体くだけて血流れて地にみつ、又種種の苦あり、人間の二百歳を第三の夜摩天の一日一夜として此の天の寿二千歳なり此の天の寿を一日一夜として此の地獄の寿命二千歳なり、殺生・偸盗の罪の上に邪婬とて他人のつまを犯す者此の地獄の中に堕つべし、而るに当世の僧・尼・士・女・多分は此の罪を犯す殊に僧にこの罪多し、士女は各各互にまほり又人目をつつまざる故に此の罪ををかさず僧は一人ある故に婬欲とぼしきところに若し有身ば父ただされ・あらはれぬべきゆへに独ある女人を・をかさず、もしや・かくるると他人の妻をうかがひ・ふかく・かくれんと・をもうなり、当世のほかたうとげなる僧の中にことに此の罪又多くあらるんと・をぼゆ、されば多分は当世たうとげなる僧・此の地獄に墜つべし。
第四に叫喚地獄とは衆合の下にあり縦広前に同じ獄卒悪声出して弓箭をもつて罪人をいる、又鉄の棒を以て頭を打つて熱鉄の地をはしらしむ、或は熱鉄のいりだなにうちかへし・うちかへし此の罪人をあぶる、或は口を開けて・わける銅のゆを入るれば五臓やけて下より直に出ず、寿命をいはば人間の四百歳を第四の都率天の一日一夜とす、又都率天の四千歳なり都率天の四千歳の寿を一日一夜として此の地獄の寿命四千歳なり、此の地獄の業因をいはば殺生・偸盗・邪婬の上に飲酒とて酒のむもの此の地獄に墜つべし、当世の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆の大酒なる者・此の地獄の苦免れがたきか、大論には酒に三十六の失をいだし梵網経には酒盃をすすめる者・五百生に手なき身と生るととかせ給う人師の釈にはみみずていの者と・なるとみへたり、況や酒をうりて人にあたえたる者をや・何に況や酒に水を入れてうるものをや・当世の在家の人人この地獄の苦まぬがれがたし。
第五に大叫喚地獄とは叫喚の下にあり縦広前に同じ、其の苦の相は上の四の地獄の諸の苦の十倍して重くこれをうく、寿命の長短を云わば人間ね八百歳を第五の化楽天の一日一夜なり此の天の寿八千歳なり此の天の八千歳を一日一夜として此の地獄の寿命八千歳なり、殺生・偸盗・邪婬・飲酒の重罪の上に妄語とてそらごとせる者・此の地獄に墜つべし、当世の諸人は設い賢人・上人なんどいはるる人人も妄語せざる時はありとも妄語を・せざる日はあるべからず、設い日は・ありとも月は・あるべからず設い月は・ありとも年は・あるべからず設い年は・ありとも一期生・妄語せざる者はあるべからず、若ししからば当世の諸人・一人もこの地獄を・まねがれがたきか。
第六に焦熱地獄とは大叫喚地獄の下にあり縦広前にをなじ、此の地獄に種種の苦あり若し此の地獄の豆計りの火を閻浮提にをけらんに一時にやけ尽きなん況や罪人の身の耎なること・わたのごとくなるをや、此の地獄の人は前の五つの地獄の火を見る事雪の如し、譬へば人間の火の薪の火よりも鉄銅の火の熱きが如し、寿命の長短は人間の千六百歳を第六の他化天の一日一夜として此の天の寿千六百歳なり此の天の千六百歳を一日一夜として此の地獄の寿命一千歳六百歳なり、業因を云わば殺生・偸盗・邪婬・飲酒・妄語の上・邪見とて因果なしという者・此の中に墜つべし、邪見とは有人の云く人飢えて死ぬれば天に生るべし等と云云、総じて因果をしらぬ者を邪見と申すなり世間の法には慈悲なき者を邪見の者という、当世の人人此の地獄を免れがたきか。
第七に大焦熱地獄とは焦熱の下にあり縦広前の如し、前の六つの地獄の一切の諸苦に十倍して重く受るなり、其の寿命は半中劫なり、業因を云わば殺生・偸盗・邪婬・飲酒・妄語・邪見の上に浄戒の比丘尼を・をかせるもの此の中に墜つべし、又比丘酒をもつて不邪婬戒を持てる婦女をたぼらかし或は財物をあたへて犯せるもの此の中に墜つべし、当世の僧の中に多く此の重罪あるなり、大悲経の文には末代には士女は多くは天に生じ僧尼は多くは地獄に墜つべしと・とかれたるは・これていの事か、心あらん人人ははづべし・はづべし。
総じて上の七大地獄の業因は諸経論をもつて勘え当世日本国の四衆にあて見るに此の七大地獄をはなるべき人を見ず又きかず、涅槃経に云く末代入りて人間に生ぜん者は爪上の土の如し三悪道に墜つるものは十方世界の微塵の如しと説かれたり、若し爾らば我等が父母・兄弟等の死ぬる人は皆上の七大地獄にこそ堕ち給いては候らめ・あさましともいうばかりなし、竜と蛇と鬼神と仏・菩薩・聖人をば未だ見ずただ・をとにのみ・これをきく当世に上の七大地獄の業を造らざるものをば未だ見ず又をとにも・きかず、而るに我が身よりはじめて一切衆生・七大地獄に墜つべしとをもえる者・一人もなし、設い言には墜つべきよしを・さえづれども心には墜つべしとも・をもわず、又僧・尼・士・女・地獄の業をば犯すとは・をもえども或は地蔵菩薩等の菩薩を信じ或は阿弥陀仏等の仏を恃み或は種種の善根を修したる者もあり、皆をもはく我はかかる善根をもてれば・なんど・うちをもひて地獄をもをぢず、或は宗宗を習へる人人は各各の智分を・たのみて又地獄の因ををぢず、而るに仏菩薩を信じたるも愛子・夫婦なんどをあいし父母主君なんどを・うやまうには雲泥なり、仏・菩薩等をばかろくをもえるなり、されば当世の人人の仏・菩薩を恃ぬれば宗宗を学したれば地獄の苦はまねがれなん・なんど・をもえるは僻案にや心あらん人人はよくよく・はかりをもうべきか。
第八に大阿鼻地獄とは又は無間地獄と申すなり欲界の最低大焦熱地獄の下にあり此の地獄は縦広八万由旬なり、外に七重の鉄の城あり地獄の極苦は且く之を略す前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として大阿鼻地獄の苦一千倍勝れたり、此の地獄の罪人は大焦熱地獄の罪人を見る事他化自在天の楽みの如し、此の地獄の香のくささを人かぐならば四天下・欲界・六天の天人・皆ししなん、されども出山・没山と申す山・此の地獄の臭き気を・をさへて人間へ来らせざるなり、故に此の世界の者死せずと見へぬ、若し仏・此の地獄の苦を具に説かせ給はば人聴いて血をはいて死すべき故にくわしく仏説き給はずとみへたり、此の無間地獄の寿命の長短は一中劫なり一中劫と申すは此の人寿・無量歳なりしが百年に一寿を減じ又百年に一寿を減ずるほどに人寿十歳の時に減ずるを一減と申す、又十歳より百年に一寿を増し又百年に一寿を増する程に八万歳に増するを一増と申す、此の一増・一減の程を小劫として二十の増減を一中劫とは申すなり、此の地獄に堕ちたる者・これ程久しく無間地獄に住して大苦をうくるなり、業因は云わば五逆罪を造る人・此の地獄に墜つべし、五逆罪と申すは一に殺父・ニに殺母・三に殺阿羅漢・四に出仏身血・破和合僧なり、今の世には仏ましまさず・しかれば出仏身血あるべからず、和合僧なければ破和合僧なし、阿羅漢なければ殺阿羅漢これなし、但殺父・殺母の罪のみありぬべし、しかれども王法のいましめきびしく・あるゆへに此の罪をかしがたし、若爾らば当世には阿鼻地獄に墜つべき人すくなし但し相似の五逆罪これあり木画の仏像・常塔等をやきかの仏像等の寄進の所をうばいとり率兜婆等をきりやき智人を殺しなんどするもの多し、此等は大阿鼻地獄の十六の別処に墜つべし、されば当世の衆生十六の別処に墜つるもの多きか又謗法の者この地獄に墜つべし。
第二に無間地獄の因果の軽重を明さば、問うて云く五逆罪より外の罪によりて無間地獄に墜んことあるべしや、答えて云く誹謗正法の重罪なり、問うて云く証文如何、答えて云く法華経第二に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」等と云云、此の文に謗法は阿鼻地獄の業と見へたり、問うて云く五逆と謗法と罪の軽重如何、答えて云く大品経に云く「舎利弗仏に白して言わく世尊五逆罪と破法罪と相以するや、仏舎利弗に告わく相以と言うべからず所以は何ん若し般若波羅蜜を破れば則ち十方諸仏の一切智一切種智を破るに為んぬ、仏宝を破るが故に法宝を破るが故に僧宝を破るが故に三宝を破るが故に則ち世間の正見を破す世間の正見を破れば○則ち無量無辺阿僧祇の罪を得るなり無量無辺阿僧祇の罪を得已つて則ち無量無辺阿僧祇の憂苦を受るなり」文又云く「破法の業因縁集るが故に無量百千万億歳大地獄の中に墜つ、此の破法人の輩一大地獄より一大地獄に至る若し劫火起こる時は他方の大地獄の中に至る、是くの如く十方に徧くして彼の間に劫火起こる故に彼より死し破法の業因縁未だ尽きざるが故に是の間の大地獄の中に還来す」等と云云、法華経第七に云く「四衆の中に瞋恚を生じ心不浄なる者有り悪口罵詈して言く是れ無知の比丘と、或は杖木瓦石を以て之を打擲す乃至千劫阿鼻地獄に於いて大苦悩を受く」等と云云、此の経文の心は法華経の行者を悪口し及び杖を以て打擲せるもの其の後に懺悔せりといえども罪いまだ滅せずして千劫・阿鼻地獄に堕ちたりと見えぬ、懺悔せる謗法の罪すら五逆罪に千倍せり況や懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出ずる期かたかるべし、故に法華経第二に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生れん、是くの如く展転して無数劫に至らん」等と云云。
第三に問答料簡を、明さば問うて云く五逆罪と謗法罪との軽重はしんぬ謗法の相貌如何、答えて云く天台智者大師の梵網経の疏に云く謗とは背くなり時と云云、法に背くが謗法にてはあるか天親の仏性論に云く若し憎むは背くなり等と云云、この文の心は正法を人に捨てさせるが謗法にてあるなり、問うて云く委細に相貘をしらんとをもうあらあら・しめすべし、答えて云く涅槃経第五に云く「若し人有りて如来は無常なりと言わん如何ぞ是の人舌堕落せざらん」等云云、此の文の心は仏を無常といはん人は舌堕落すべしと云云、問うて云く諸の小乗経に仏を説かるる上又所化の衆皆無常と談じき、若し爾らば仏・並に所化の衆の舌堕落すべしや、答えて云く小乗経の仏を、小乗経の人が無常ととき談ずるは舌ただれざるか、大乗経に向つて仏を無常と談じ小乗経に対して大乗経を破するが舌は堕落するか、此れをもつて・をもうにをのれが依経には随えども依経より・すぐれたる経を破するは破法となるか、若爾らば設い観経・華厳経等の権大乗経の人人・所以の経の文の如く修行すともかの経にすぐれたる経経に随はず又すぐれざる由を談ぜば謗法となるべきか、されば観経等の経の如く法をえたりとも観経等を破せる経の出来したらん時・其の経に随わずば破法となるべきか、小乗経を以て・なぞらえて心うべし」




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