宿坊の掲示板
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題名:(改革)2/4 誰でもできる抵抗運動

名前:ClearSky

◇ErrGFdVYfw
MAIL 投稿日: 2023/03/28(火) 23:40 45.134.225.36 (45.134.225.36)

■1.はじめに

「創価学会の民主化」実現には幾つかの段階が必要だろうと私は考えている。
その第一段階は、「個人レベルの覚醒」である。
それは、同時に「会員の意識改革」が何にもまして重要であるとの主張でもある。

組織の会員が「自分の頭で考えない」+「上に逆らわない」となれば、ある意味で組織にとって極めて都合の良い労働力である。
しかも「無償で働く」なら、便利で有難い。
しかも、善悪の判断や慈悲を持たない冷徹なロボットで、意のままに操縦できる。
しかし、このロボットは人間性の否定の産物である。

反対に、自分の頭で考え、良心に従い、思いやりの心を備えた人間はいる。そういう人間を育てる。その陣列が本来の創価学会である。
創価の人間とその陣列は、悪を退け、悪と戦う。
確かに、おかしな世には弾圧されるが、自他共の幸福のために悪とは敢然と戦う。
その戦いが蓄積されてこそ、立正安国の世が実現する。
創価の歴史はそうだった。そしてこれからもそうあるべきである。

悪に同調し、悪を攻めることもなく、悪を助長させ、悪に加担すれば、待っているのは悲惨な末路である。

近年の創価学会の劣化・衰退は著しい。将来を心配しているのは私だけではないだろう。
故に、創価学会の会員の「意識の改革」は急務である。
様々な意識改革の手段はあるだろうが、先ずは自ら決意した人が一人でも始められることを今回取り上げてみたい。
つまり、創価学会の民主化運動の一環として、個人レベルの運動である。

これは「民主化運動」の第一段階のとしての改革運動である。
個人レベルの活動が、巨大組織の変革・民主化につながることに疑問を持つ人もいるかもしれない。
しかし、個人の変革こそが重要であり、改革の成否の鍵を握っていると私は考える。
そして、個人レベルの行動が巨大組織を変革する原理を言葉にすれば、次のようなものになると考える。

== **** ==
組織は、支える者がいるから成り立つ。
支える者がいなければ組織は存続できない。
故に、様々な支持を断つことが有効である。
== **** ==

おかしな体制を支えるから、おかしなことが起きる。
おかしな体制を支える者がいるから、おかしなことがなくならない。
「おかしな体制を認めない」と決意した人が増えれば、おかしな体制を変革できる可能性が高まる。

地道な、意識変革の運動の高まりが組織と時代を変える。

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■2.「不服従」と「不支持」

「支持」と「服従」の言葉。
似ている言葉であるが、両者の違いは何だろうか?
個人的な意見を記せは、二つの差異は「賛意の有無」であろう。

その体制や要求に「賛同している」のであれば、「支持している」と考えられる。
「賛同はしていない」が、要求されたことに「従う」ことは、「服従」であろう。
「服従」には、意思に反して従ってしまっている場合があるとの意味があるのだろう。

「支持」…賛意があり、体制を認めている
「服従」…賛意の有無には関係なく、強制されて従ってしまっている

このことから、次のことを考える。
「不支持」とは、明確にその体制を認めない意志を示すことである。
「不服従」は、体制を認めてしまっているが、要求には従わないことであろう。
この「不服従」には、弱い不服従から強烈な不服従まで、極めて幅が広いと感じる。

多くの会員にとって、最初から「不支持」を表明するのは難しいように見える。
先ずは「不服従」を示し、時間をかけてその体制の価値を吟味する。もし変革の必要性を認めるなら、現体制の「不支持」を表明すればよいと思う。

最初から「不支持」を表明できなくても、先ずは、おかしなことに対する「不服従」から始めてみてはどうだろう。

一人でも、また、仲間を誘ってでも、「おかしなことには従わない」という姿勢は重要である。
それは、自分が、そして同志が不幸にならないために必要なことである。

「賛意」という言葉を「一念」「生命」の視点で考えてみる。
能動的・積極的に認めよう、加担しようとする「姿(一念・生命)」は「支持」である。
積極的に加担したい訳ではない、しかし強く拒否することもできないで、仕方なく従ってしまう姿は「服従」と見える。
加担してしまう生命。引きずられる生命。断れない生命がある。

対象の正邪で結果は大きく変わる。幸・不幸に大きく関わる。
問題は、対象が悪である場合である。
悪を支持する。悪に服従する。程度の差はあれ、共に不幸を招く。

詰まるところ、悪と戦わないなら、不幸を拡大する。
故に、「不服従」「不支持」を表明して、悪と戦う。
それが、大聖人の門下であり、創価学会の会員のあるべき姿ではなかろうか。

「支持/不支持」「服従/不服従」。これらのことを、心ある人達で思索して頂きたい。

大聖人の立正安国論では、末法で「謗法を悪(にく)む」「謗法を断つ」ための「施を止む」手法が論じられている。
「施」には、経済的・物質的な援助の意味が強いが、実は、他にも意味があるようだ。大聖人の御文の意味を更に深く思索するべきだが、三種の財の意味を踏まえると蔵の財の他に、身の財(奉仕・献身)や心の財も「施」に含まれるのではないだろうかとの思いが頭をよぎる。
大聖人は、指導者層だけでなく、民衆に何を「止めよ」と仰りたかったのだろうか。
「誤った教え」「誤った思想」を支持しない。「誤った指導者」を支持しない、等々。
自らの心を制御して、勇気を出す。言葉と行動に移していく。
「悪への施を止む」について更に思索を重ねたい。それが「立正安国」につながる。

学会・日本において「不服従」を通して、その先にある、体制の「不支持」を考えるべきである。
更に、悪に従わない姿の先に、悪と戦う姿(悪と戦う一念、悪と戦う生命)があると考える。
悪と闘う前に、悪に従わない姿勢が大切である。

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■3.抵抗運動の根拠

創価学会の民主化に取り組むと、おかしな勢力から妨害される。悪口を言われ、迫害される。一方的に悪者にされる。
民主化を推進する人に、問題があるのであろうか? 民主化を求めると、非難されなければならないのだろうか?

悪世に正義が迫害されるのは当然である。
同様に、おかしな創価学会を改革しようとすれば、その抵抗運動は迫害されることになる。
故に、迫害を乗り越えるためには、抵抗運動に根拠や正統性が求められる。

何故、悪世に正義は迫害されるのか?
組織である以上、「秩序」は重要である。おかしな世の中でも、体制を維持するために「秩序」は要求される。
抵抗運動が体制の不支持を掲げる以上、迫害を受けるのは当然である。
本当の正義は迫害されても、屈せずに、善を実現しようとする。
故に、正統性もなく、都合の良いように作り上げられた、偽物の「秩序」には従えない。
おかしな勢力は、「秩序の維持」を口実に正義を弾圧する(会則の「会員としてふさわしくない言動」がそれに該当)。

多くの人を巻き込む以上、大義名分が必要である。
抵抗運動の根拠と正当性に関して記してみたい。

(1) 正しい主張に団結するのが「異体同心」
「会長を中心に」「組織の打出し通りに」「団結を乱すな」と、意見を封殺する輩は、正論を述べる者に対しても「破和合僧」と非難する。
しかし、「異体同心」とは「何に心をあわせるか」が重要である。
「異体同心」「団結」には、「正しい軸」が必要である。
もしも「おかしな軸」に同心してしまうと、広宣流布を妨げ、学会組織を破壊することになる。
それは「内部の敵」であり、それこそが「破和合僧」の行為である。
内部の敵に同心するなら、同心する者も内部の敵である。
学会における「正しい軸」とは何か? それは「①日蓮大聖人の法門」と「②三代会長の指導」であると私は考える。

そして、「団結」「異体同心」は強制されるものではない。
自由と平等が保証された中に、自由闊達な議論を交わし、団結していくものである。
どこまでも自発・内発の働きである。
強制された「団結」など、団結ではない。「服従」である。
「服従しない人間」は、組織から排除される。仕方なく「服従する人間」も力を発揮しない。
故に、服従を強要した活動の結果は悲惨なものになる。学会でも過去の歴史が証明している。

しかも、「団結を乱す」のは、「おかしな幹部」と「その信奉者」からである。
そんな輩にはこう言い返すべきだ。「団結を乱しているのは、私ではない。あなたである。」と。
その上で、正しい軸や正しい基準を問いかけてみればよい。もし語り合えるなら教えてあげればよい。

(2) 根拠のない人事に従う必要はない → 役職の否認
現在の学会で行われている「人事制度」「役職」に根拠はない。
第一に、人材登用は、人格・能力・資質によって行われている訳ではない。おかしな幹部が、おかしな子分を推薦し、承認しただけである。
第二に、あなたは、承認していない。現場の会員は、承認手続きを行っていない。あなたは、人事発表なるものを聞いただけである。
第三に、登用された幹部に問題があっても、誰も辞めさせることはできない。故に、おかしな人材登用は益々組織をおかしくする。
よって、正しく修正できない人事によって、組織はおかしな幹部だらけになっている。

根拠のない役職を持った「おかしな幹部」に会員が従う必要はあるだろうか?
私は「必要ない」と考える。
寧ろ、あなたが「おかしい」と考えるなら、従うべきではない。

更に言えば、あなたが「良心に従って『おかしい』と考える」なら、絶対に従うべきではない。
悪に加担すれば、あなたは悪人になる。

先生は指導されている。
「万事、つくべき人を間違えてはいけない(2006.12.22)」「つくべき人を誤ってはならない(2008.01.29)」
「『おかしい』と思ったら、どんな人間に対しても、厳然と言っていくのである(2006.01.27)」
同様の指導は多い。

会合の最後を締めくくる担当幹部の指導?が行われていることだろう。
参加者をおかしな活動に奔走させるのが、このおかしな幹部の指導である。しかも、おかしな幹部ほど自信満々に語る。

しかしよく考えてみたい。
「あなたは、現場の会員は、その幹部を『承認』しただろうか?」
そんな手順は踏んでいない。そんな手続きは人事で行われていない
おかしな幹部が、おかしな子分を推薦し、任命しただけである。
なのに、何故、あなたは(会員は)、おかしな幹部の言うことを聞かなければならないのだろうか?
そして、最悪なのは「誰もおかしな幹部を辞めさせることはできない」ことである。

何度も繰り返すが、今の学会の人事に正統性はない。
あなたの周りの幹部を見回して、確認してみればよい。
人格が優れているのだろうか?
何かの能力に秀でているのだろうか?
正しく判断できるのだろうか?
正しい指導ができるだろうか?
全てが「否」である。その人物に「人格」「判断力」「指導力」はない。「慈悲」や「智慧」、中には「人間性」に問題がある者もいる。
あるのは、「上からの指示への服従力」と「正義の非難に対する黙殺力」だけである。
客観的かつ公平な人事登用基準もなく、慈悲も信心もない人間を登用してはならない。

自分が承認したわけでもない人間から活動を強要される。自分が疑問に感じ、あなたの良心も制止すべきと語りかけているのであれば、その指示に服従する必要はない。服従してはならない。

少し前まで、テレビ等でよく使われていた「闇バイト」なる言葉がある。
今の学会の何の根拠も正当性もない、お友達人事、否、親分子分人事は「闇人事」と言うのが相応しいと私は考える。

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■4.個人レベルの抵抗運動の実践例

創価学会が「おかしい」と感じ、改革が必要だと考えるなら、先ずあなたが変わるべきである。

「このままでは学会の将来は危ない」「自分の組織はもう持たない」と考えている人は少なくない。
しかし「私一人が努力しても何も変わらないだろう」と諦めている人も多い。
また、「何をすればよいのか分からない」と悩んでいる人もいる。
私の周りにもそのような方がいる。少なくない数である。同様な意見をSNSでも見かけることがある。
そして、今、私が伝えたいのは、「既に、実際に行動を起こし始めた方がいる」ことである。

あなたが一歩踏み出すべきと考えるなら、その方達の活動を知るのも一案であろう。
ここでも、参考になればとの思いで、少しだけ、記してみたい。

先ずは「おかしなことには従わない」と言うことから始めてはどうだろうか。
つまり「不服従」である。そして、次第に「不支持」の立場を強めていくのはどうだろう。

以下に記した中で、自分にできることから実践すればよい。
また、ここに書いてない、自分独自の戦い方を編み出していくのも良い。

誰でも参加できる抵抗運動の例:

■レベル1(個人の不服従)
・勉強会の開催(本当の指導を学ぶ、平和を考える、本当の活動を考える、等)
・座談会改革(洗脳訓練会合からの脱却:巻頭言拝読拒否、等)
・達成目標値の低減(実状と自分の思いを正直に語ればよい)
・報告の改善(過大な報告の簡素化、不要な報告の廃止、不審を招く報告の廃止、エア報告)
・聖教新聞の多部数の減部(不必要な購読や啓蒙強要の拒否)
・民音不買(参加しない公演チケットは不買)

■レベル2(不服従の拡大)
・幹部返し(要求してくる幹部に自らやるように突き返す)
・「支援は自由」運動…公明はともかく、自民支援の拒否、連立解消を要望、等
・有志による勉強会の開催(教学、三代会長の指導、対談集、等)
・主張の展開(座談会での研究発表、主張大会の開催)、等

■レベル3(活動の不支持)
・「支援は自由」運動 (公明支援の明言は拒否、党主体の選挙活動)
・財務の再考 (財務の必要性/健全性の証明を要求、減額・停止)
・党員再考・拒否(「支援の自由」を主張)
・党議員との懇談(本来の平和・福祉の党への回帰を促す)
・声明文 (署名運動に参加、非難決議)、等

■レベル4(体制の不支持)
・問題点/矛盾の指摘
・活動拒否(非協力・不服従:活動ごとに宣言)
・非活宣言
・役職辞任(役職の返納)、等

・等々

※上記の全ての対応で重要なことは、おかしなことに関しては、「押し付け」られたとしても、決して「従ってはならない」ことである。
 ニコッと笑って次のように言い返すのも一案である。
 「あなたが必要だと言うのなら、あなたがやればよい」「私はやらない」と。

改革に立ち上がるなら、こうしなければならないと言うことではない。
自分のいる場所で、自分のできることをやればよい。窮屈に考える必要はない。
まして何かを恐れることもない。
自分にできることを祈り、考え、行動すればよい。

何年も何十年も学会員でいたなら、しがらみがあるかもしれない。
自分が行動することで、まだ準備ができてない人を巻き込むことになるかもしれない。
また、声を上げるのに勇気がいるかもしれない。
どうすべきか、人それぞれに違うだろう。
人が出来たからと言って、皆がそれに従わなければならないということはない。
同調する必要もなければ、強要されるべきものでもない。
大切なことは、薫発であり、自発・内発である。

また、可能なら多くの人に相談すればよい。
正義であれば何をやっても良いと言うことでもないだろう。
様々な視点で物事をみることが出来るなら、それが望ましい。
何より孤立するのを避けるべきである。それは独善に陥る可能性がある。
心ある人達と語り合いながら、現時点で最適な戦い方を探し求めていくことが望ましい。
SNSで相談を受け付けてくれるサイトもあるようだ。相談してみるのもよいだろう。

私の主張は、組織内組織の構築や分派工作を画策しているのではない。
団結すべき学会の軸を明確にし、偽物を排除しようと行動しているだけである。

正しいことを学ぶべきである。御書や三代会長の指導を学ばなければ、目指すべき学会の軸は分からない。
「今の学会(公明党)はおかしい」と感じる人も増えている。根拠は、先生の指導と違うから。平和に逆行するから。生活苦に向かっているから。これらのことを理解する人も次第に増えている。

様々な主張が横行する中、正邪が分からなくなっている方もいることだろう。
正邪を明確にしなければならない。もしも、邪に親近すれば、学会自体が邪となってしまう。邪に染まれば、やがて不幸になる。
学会を邪となし、破壊するものは、「内部の敵」である。「内部の敵と戦え」「追撃の手を緩めるな」は第二代会長の遺言である。
おかしな勢力から、本当の学会を取り戻すための活動に遠慮はいらない。

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■5.最後に

今回、様々な抵抗活動の例を少しだけ紹介した。もし、自分で実践できるものがあるなら、挑戦してみてはどうだろう。
活動は楽しくやるものだと思う。悲壮感に苛まれて、抵抗運動を続けても長続きはしない。どうせやるなら楽しくやればよい。

既に、現学会の中で、おかしな活動と決別し、おかしな強要をはっきりと拒否する人達が増えてきている。
その中には、既に退会させられた人もいる。今も学会にいて闘う人もいる。様々な立場で行動している人がいる(非活を選択した人もいる)。
その人達に聞いてみればよい。
「あの学会に戻りたい」と言う声を私は聞いたことがない。
「拒否して良かった」という人達しか私は知らない。

批判されても、悪口を言われても、嫌がらせをされても、自分の人生を取り戻すべきだ。

そして、「人間として」「弟子として」「信仰者として」誇りを持って生きていくことは楽しいことである。
多くの先人がその道を開いている。

教学を学び、先生の指導通りに活動していた頃は楽しかったはずである。
今は違うと感じている人も多い。今の学会がおかしくなっただけである。

本当の学会活動は楽しいものである。
おかしなこと、おかしな輩を「笑い飛ばしていけ」ばよい。

学べば、おかしなことが見えてくる。
学ばないから、分からない。ただ、それだけである。

題目を唱え、学び、戦えば、境涯が変わる。
おかしなことに手を染めなければ、六根も清浄になる。
御書と正しい指導を学べばよい。楽しくなる。

御書と指導に学ぶことは、学会に於ける正しい実践である。
これらを「学ぶな」という輩は学会の指導者ではない。
おかしな指導者、おかしな著作には近づかない方がよい。

私は、大聖人の門下として、大聖人の自在の境涯に感嘆する。
私は、三代会長に連なる弟子として、悪と闘う勇気を持ち続けたい。闘い続けたい。
悪と闘う人達と共に歩みを進めたい。
そして、学会を大切に思う人達が、何かを始めようと決意し、一歩踏み出す姿に、いつも私は励まされる。




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