[3520] 題名:(改革)1/4 創価学会民主化運動
名前:ClearSky
◇y.vgpTE1s.
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投稿日:
2023/03/17(金) 23:23
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今日の創価学会は権威主義に陥り、民主的とは言えない。
様々な活動は現場で議論されることはなく、組織からの打ち出しは現場会員に強制される。
自由な議論を求めても、叶えられることはない。意義を唱えると、反逆者のように扱われる。
会員の幸福を考える幹部はいるのだろうか?会員の幸福のために行動する人間がどの位いるだろうか?
一方的な活動だけが要求される。活動する会員だけで会合が行われる。異なる意見と正邪を懸けて議論することもない。
悩みを抱え、問題を抱えた人達を顧みることはない。会員の声に耳を傾ける幹部はほとんどいない。
随分と、日蓮大聖人の振舞とかけ離れたものである。三代会長の創価学会とも異なってしまった。
これでは、「人間のための宗教」ではない。「宗教のための宗教」である。
今の学会は、組織のための宗教団体、幹部のための宗教団体である。
そして、世界の平和より、「今だけ 金だけ 自分だけ」の人間の団体である。
それは、創価学会とは呼べない状況と言える。
創価学会の改革が必要である。
正常・清浄な組織に戻す必要がある。
民主的で、内発的な組織に戻す必要がある。
ここに、その改革宣言の草案を示したい。
これは、宣言案であり、要求案である。
改革が大きなうねりになる時には、心ある人達で更に検討を重ね、正式な「宣言と要求」を掲げることを望みたい。
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(1) はじめに
創価の会員は「自由」なのだろうか? また「平等」なのだろうか?
私は「否」だと答えよう。
では次に、創価学会は「平和に貢献」しているのだろうか?
これも「否」である。
今、全ての創価学会員に問いたい。
創価の会員は「幸せ」と言えるのだろうか?
これも、私の答えは「否」である。
自分達が「幸せでない」だけでなく、社会に不幸をまき散らしている。
これから記す文は、創価の会員を悪しき権威から解放し、民主化するための「宣言」である。そして「要求」である。
「自由」「平等」「平和」そして「幸福」。
これらを、どのように受け取り、考えるかは、人それぞれであろう。
私の意見に賛同する必要もないが、私が誰かの意見に従う必要もない。
ここに記した文は、私の意見である。
しかし、多くの会員が同様に感じ、改革の必要性に賛同するなら、力を合わせて共に闘いたいと願っている。
もう少し現在の状況を掘り下げてみたい。
現在の創価学会に「自由」はない。
活動家には、政党支援、財務、各種活動が強要され、断れば、異端視され、場合によっては迫害される。
意見を言う自由もなければ、自らの意志で選択する自由もない。それが嫌なら「非活」になるしかない。
よって、私は「自由ではない」と考える。
また、全ての会員は「平等」ではない。
「幹部が上で、会員は下」である。役職の上下で決まる「命令・服従」の支配が罷(まか)り通る。
会員は役職が上位の幹部の指示に逆らわない。また、逆らえない。
下から意見を言えば、批難され、迫害される。たとえ、それが正論であっても、幹部の指示が絶対である。
よって、私は「会員は平等ではない」と考える。
創価学会は「平和」を目指しているとは言えない。
戦争を非難し、世界の平和を願っているだろうか?
核兵器の廃絶を強力に推進しているだろうか?
各国と友好を結び、戦争を否定し、日本と世界の平和に貢献しているだろうか?
公明党を支援し、政権与党に固執し、連立維持に奔走する。自民党を支援した結果、平和を脅かすことになった。
それは、アジアを不安定化させただけでなく、世界を不安定化させている。
私は、公明党と創価学会を見ていて、「平和を求める政党・団体とは思えない」。
平和実現のために奔走した三代会長の指導に背いている。
よって、私は「恒久平和を目指してない」と考える。
これらのことから、創価三代の会長が命懸けで作ってきた「自由」「平等」「平和」の理念を、現在の創価学会に見ることはできない。
寧ろ、逆行している。広宣流布の流れに逆らっている。三代会長の指導に違背している。
創価学会は宗教団体である。
「幸福の追求」を掲げ、「幸福を実現」するのが宗教だと考える。
今の創価学会員は幸福なのだろうか?
社会を繁栄させ、世の中の人を幸福にしているのだろうか?
一部の幹部やその取巻き会員の実態は、人が不幸になっても平気な輩のように見える。
家庭訪問もせず、一日の大半を会合の梯子で時間を潰す。
テキトーな指導をすることはあっても、悩み苦しむ人に寄り添うこともない。
これでは、「学会活動」とは呼べない。単なる「学会ごっこ」である。
一方、大勢の会員は、過大な負担に苦しんでいる。
その負担も「学会のため」「人のため」「社会のため」と信じ、我慢している。
更に、その「忍耐」「苦役」が本当に「人の幸福のため」「宿命転換のため」「自身の成長のため」なら、まだ耐え忍ぶこともできよう。
しかし、その「忍耐」「苦役」は、一部の幹部のために使われているだけである。
今の学会活動は「信仰」ではない。単なる「上に逆らわない活動」である。
敢えて「信仰」の言葉を用いるなら、「幹部信仰」「活動信仰」である。
おかしな信仰者が、御本尊に題目を唱え、祈るのは「幸福」のためではない。
社会を良くし、人を幸せにし、平和を実現するために奔走している訳ではない。
「結果」を出すためである。他者からの非難をかわすため、「見栄」を張るためである。
所詮は「自分のため」に過ぎない。
そして、いくら実践しても、人は幸せになることはない。
これでは「信仰の団体ではない」「宗教とも呼べない」。
そして、もはや「創価学会」ではない。
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(2) 創価学会の民主化宣言(案)
この改革運動は、創価学会に「自由」「平等」「平和への貢献」を求めるものである。
この要求は「人間の幸福のため」である。
それは「会員の幸福」であり、「社会の繁栄」「世界の平和」の実現を目指すものである。
そして、これは創価学会を取り戻すための宣言である。
一、 我々は、「幸福」を追求し、「幸福の実現」のために行動する.
一、 我々は、「日蓮大聖人の仏法」と「創価学会三代の会長の指導」を基に行動する.
一、 我々は、「自由」と「平等」を希求する.
一、 我々は、「平和」のために行動する.
一、 我々は、人間としての「正義」を追求する.
一、 我々は、悪しき権威には従わない. 屈しない. 闘い抜く.
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(3) 異体同心の改革のために
この宣言・要求は、創価学会の存在を否定するものではない。学会を破壊する意図もない。
創価学会本来の姿を取り戻す。そのために、まともな人に幹部になってもらい、正しい指導を復活させ、皆が自由に議論し、広宣流布に奔走する。
会員と日本・全世界の人が幸福になるための「改革」を推進させる。
ただ、おかしくなった創価学会を健全な団体に戻すための改革を推進させたいだけである。
学会をおかしくしている原因を取り除き、正常化を図ることが目的である。
「破邪顕正」に関して、池田先生は指導された。
「『破邪』が根本であり、その次が『顕正』だ」(2007.5.8)。
「邪悪を暴き、邪悪と戦い、邪悪を打ち破ってこそ、顕正がある」(2007.5.19)
誰が創価学会をおかしくしているのか?
誰が創価学会を破壊しているのか?
「異体同心」や「反逆」を論じたいなら、このことを考える必要がある。
それには、「創価学会とは何か?」と言う「定義」を明確にする必要がある。
そして、創価学会の「基準」を明確にすべきである。「定義」と「基準」の両方を明確にしてこそ、「正邪」を論じることができる。
私はこう考える。
「創価学会の定義」を考えるなら、創価学会は「日蓮大聖人の仏法を基に、人間を幸福にするため」にある。そのための「宗教団体」である。
また、「創価学会の基準」は「① 日蓮大聖人の法門」と「② 三代会長の指導」である。
これらのことがが「正邪」を判断する「基準」であり、創価学会が団結すべき「軸」である。
そして、これらに背く者こそが、「反逆者」であり、創価学会を破壊している輩である。
俗に言う、「幹部に逆らう者が反逆者」ではない。
もし、その幹部が「反逆者」であれば、彼と戦う者は「正義」の人間である。
このように、少しでも定義が間違えば、「正邪」を論じることなどできるはずがない。「反逆者」を論じるためには「正邪」を知る必要がある。
正義を迫害する者こそが「反逆者」であり、「和合僧を破る者」である。
「会の秩序を乱す」者は除名されることになっている。
しかし、「秩序を乱す」どころか、「会を破壊する」者こそが裁かれるべきである。
「定義」と「基準」が定まらないと、全てが顛倒する。
異体同心に背き、学会を破壊している者を知るべきである。
そして、「正邪」を弁えない者に「異体同心」を語る資格はない。
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(4) 創価学会の民主化要求(案)
創価学会を民主化し、健全な宗教団体を再建する。
先の「民主化宣言(案)」を踏まえ、その実現のための具体的な「要求(案)」を簡単に紹介してみたい。
■1.会員の人権の保障
・「自由」の保障
- 「支援の自由」「財務の自由」「意見表明の自由」等の会員としての人権を保障
- 「教義・指導の研鑽」を通して、本来の学会の在り方を議論する
・「平等」の実現
- 組織偏重から人間の幸福追求へ
- 「幹部偏重」「活動偏重」を改め、「信心根本」「指導根本」の「人間のための信仰」に
・「平和」に貢献
- 三代会長の指導を確認し、社会に貢献し、世界を平和にするための学会の路線を再検討
- 自由な発言を許可し、本当に平和実現、幸福追求するための路線を議論
■2.会員主体の組織へ、現場組織の是正
・小単位の支部中心の組織へ(ピラミッド型の上意下達の大規模組織からの脱却)
- 支部・地区・ブロックを中心とした会員主体の組織の構築
- 活動方針と具体的な取り組みは、トップダウンではなく、現場の意見を尊重
- 支部の連合体としての会員組織を構築(⇒「信徒団体:会員組織」と「学会本部」の並立)
・人事制度の改革
- 人事手続きの透明化(会員のための幹部、会員の意見を反映した人材登用)
- 根拠のない人材登用の廃止(人格・能力を基準に人材を登用)
- 組織正常化のため、既存人事の解体(全役職のリセット→再人事)
- 「会員への宣誓制度」と「会員の承認」を備えた「双方向承認制度」を導入
- 「役職解任手続き」を導入し、不適任幹部の排除の道を確保
■3.本部機構の改革
- 会計の透明化(財務諸表の公開または第三者による監査)
- 適正な運営(適正な本部運営、職員配置・業務割当、会館建設等の支出の透明化)
- 職員の職責と役職の分離(職員幹部は原則廃止⇒職員は事務員へ:高位役職は原則廃止)
- 職員の待遇見直し(会員の理解が得られる待遇に)
- 学園・大学の見直し(教育機関としての独立性を確保)
- 外郭団体の見直し
■4.活動の見直し
・選挙支援活動の比重を低減(「会員の支援は自由」を前提に、党支援の在り方を重点的に改革)
・支部で方針を議論・決定
- 支部・地区で協議し、納得の活動を(組織からの打出しに従うだけの活動は廃止)
・不要な活動の削減・排除(無償の奉仕活動の強要を廃止)
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(5) おわりに
学会の基準に則り、おかしなこと、間違っていることには勇気を出して声を上げるべきである。
多くの会員が苦しみ、不幸になるべきではない。
そのために、一部の人間の独裁を許すべきではない。
どこまでも、学会の基準に則り、学会本来の姿を取り戻すべきである。
改革は「いつか」「誰かが」やってくれるものではない。
「今」「ここ」に生きる会員が実現するしかない。
創価学会の万代にわたる繁栄のためには、今いる会員が変わるしかない。
そのための「創価学会の民主化」である。「民主化」が必要である。
今の体制を支えているのは、ほかならぬ会員である。
会員が変わらなければ、学会は変わらない。
会員が支え続ける限り、学会が変わることはない。
以上