[2854] 題名:池田大作、原田稔の日本乗っ取り計画破綻!
名前:サルサ岩渕さん 世田谷区議会議員候補にしましょう
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投稿日:
2023/02/03(金) 22:59
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「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
開き直り反撃に転じた池田大作 昭和五十一年に勢力回復
昭和四十八年から、池田大作は、密かに反撃を開始した。 “天下盗り”は池田大作の一生かけての執念であり、他から批判されたからといって捨てられるものではない。世間を気にして“政教分離”をすすめたら公明党はやがて消滅することははっきりした。こうなれば開き直るしかない。 会員の減少を防ぎ、組織をたて直す根本の方策は折伏しかない。 池田大作は、一時中止していた折伏を再開した。 もちろん従来のような、例えていえば通りを大勢でガナリ立てて我がもの顔に歩き、番犬小屋をわざとけとばして挑発するような、強烈な折伏はやるわけにはいかない。 そこで、幹部の中から選んでチームをつくり“一人年一世帯の折伏”を目標にし、そしてチームの輪を次第にひろげて行く方法をはじめ、いろいろな戦略をあみ出した。“目立たぬように着々とやる”“世間がアッと気付いたときはもう遅い”というやり方でやる。…… 折伏の相手をよく研究して適した人物を派遣し、適した方法や話題を選ぶ等、マーケット・リサーチ的な手法も取り入れたし、“罰と功徳”一点ばりの“強折”をやめて、青年層には“歌とおどり”“サークル”“平和運動”を強調し、一般層には、やわらかく実利を説く等、ソフト路線に転換した。 仏壇や仏像を焼くことも禁止したし、家族が反対の場合は、無理やり御本尊を受けさせることもしないよう徹底した。 “折伏”という言葉とは似ても似つかぬソフトな布教方法に転換した結果、次第に成果があがり、昭和五十一年末には勢力を回復したのみか、過去最高の会員数に達していた。 この拡大した勢力で、“政教一致選挙”に、これまたソフトな“友人作り”方式を導入して行った。これが成功して昭和五十一年暮の総選挙では、公明党は五十四議席へと躍進し、野党第二党の地位を確保した。 言論問題の轍をふまぬよう、マスコミ対策に人手と金をたっぷりかけ、そして、他党との関係にも気を配ったから、今度は公明党の進出に対するはげしい“ゆりもどし”は来なかった。 何よりも、最大最強の批判勢力だった日本共産党との間の“創共協定”が事実上空文化したとはいえ、互いの中傷攻撃合戦を封じる効果はのこったから、創価学会の周りの波は急に静まりかえったのである。 この時期、他に池田大作個人にかかわる最大の危機ともいえたのは、昭和五十年初頭に始まった「月刊ペン」誌による、池田大作女性スキャンダル事件であった。 やむをえず刑事訴訟にふみ切り、警察に圧力をかけて逮捕・起訴させたものの、秋になって池田大作証人喚問必至の形勢となり、大いにあわてた。 池田大作に命じられて私は、笹川陽平氏(現日本財団理事長・船舶新興会会長)と裏工作を行い、三千万円の金で月刊ペン社の社長と弁護人を買収して、やっとのことで証人出廷を防いだが、これによって池田大作は、最大の悩みから解放された。
改革
「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
落ち込む聖教、民音収入
一方、創価学会の収入面はというと、言論問題での批判をかわし会員の不満をおさえるために、会員に対する“聖教新聞の多部数押付け”“出版物の強制的な購買”“民音興業チケットの押しつけ販売”等の収奪を、自粛せざるを得なかった。そのため、創価学会の金庫は次第に底をつき、預金は確実に減りつづけた。 池田大作が、世論・マスコミ対策のために、新聞社や出版社から本を出したりすることが多くなったが、これは印税で、小遣いかせぎすることも隠れた目的だったのである。 「かせいでもかせいでも、金は皆本山に吸い上げられ、大学や学園に持っていかれる。公明党には票をもって行かれる。俺には、悪口ばかりが(世間から)集まる」 とぐちをこぼすことが多くなったのも、この頃であった。 総選挙で大敗を喫した後、昭和四十八?ス梛續Nは首脳陣は、財政面でももはや“後がない”という、深刻な危機感を持った。
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