[2777] 題名:平和主義国家の末路
名前:霞ヶ関リークス
◇jQlsivTiSI
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投稿日:
2023/01/29(日) 18:27
45.130.203.81 (45.130.203.81)
ロシアの思想宣伝が作りだした平和ボケから
ウクライナ国民が覚醒したのは、
ロシア軍の侵略が始まってからだった。
■1.「貴方が望んでいる日本の未来はこれなのか?」
こんな国があった。
__________
・国民は平和ボケしている。
・「軍隊はなくてもいい」という論調が強い。
・近年、国益を明らかに損なった売国政権を経験している。
・外国に媚びた弱腰外交を行っている。
・愛国者は「ナショナリスト」「ファシスト」とレッテル貼りされている。
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まるで、
我が国の事を言っているようだが違う。
ウクライナである。
ウクライナは1991年に
ソ連から独立した際に
多くの核兵器と巨大な軍隊を
引き継いだが、
維持費がかかるのと、
隣国ロシアから警戒されるという理由で、
すべての核兵器を廃棄し、
軍隊を大幅に削減し、
大国の対立に巻き込まれないよう
NATO(北大西洋条約機構)の
集団安全保障体制にも加わらなかった。
日本の9条教徒なら
「素晴らしい非武装平和主義政策」
と称賛するだろう。
その結果はどうなったか。
ウクライナ出身で、
今は日本で活躍している
国際政治学者
グレンコ・アンドリー氏は
こう訴える。
__________
こんな政策は素晴らしい
と考えている方を
是非ウクライナの前線に
連れて行きたいです。
戦火で燃え尽きた村の廃嘘、
ミサイルが落ちている中で
学校の地下に隠れている子供、
二十歳まで生きられなかった
戦没者のお墓を見せて聞きたいです。
貴方が望んでいる
日本の未来はこれなのか?
戦争を言葉によって止められるものなら、
その言葉を教えてくださいよ!
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ウクライナのクリミア自治州と東部2州では、
2014年2月からロシア系住民による反乱を
契機に戦闘が広がった。
ロシア軍が背後で
糸を引いていたとされる。
現在までにウクライナ軍16千名以上、
ロシア系分離主義者・ロシア軍
7千人以上の死傷者が出ている。
国連総会では、
現状を「ロシアによる占領」と認めている。
空想的平和主義が
どんな悲劇をもたらすか、
ウクライナは事実でこれを示している。
その事実をアンドリー氏の
著書『ウクライナ人だから気づいた日本の危機』
から見てみよう。
■2.劇的な「軍縮」
まずはアンドリー氏の著書から、
ウクライナの「軍縮」の実態を見ておこう。
__________
ウクライナが1991年末に
ソ連から独立した時点で、
ウクライナ軍は次のような編成であった。
兵士780万人/戦車6500両/
戦闘車両7000両/大砲7200門/
軍艦500隻/軍用機1100機、
そして1500発以上の
戦略核弾頭と176発の
大陸間弾道ミサイルという、
当時世界第三位の
規模の核兵器も保有していた。
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まず、
核兵器を放棄するよう
アメリカとロシアの双方から
「脅迫に限りなく近い非常に強い圧力」
がかかった。
ウクライナの指導者たちは
この要求をすべて呑み、
「3年間ですべての核兵器を放棄する」
という約束をした。
見返りは
「米英露はウクライナの
領土的統一と国境の不可侵を保障する」
という覚書だけだった。
覚書は国際条約ではなく、
それを守る法的義務はない。
その結果がロシアのウクライナ侵略と、
米英の口先だけのロシア非難だった。
アンドリー氏は、
せめて代償として経済支援か、
最新の通常兵器提供か
を求めるべきだったとしている。
あるいは核廃棄に長年をかけて
交渉カードにしていれば、
その間はロシアの侵攻を防げただろう。
多くの通常兵器は
外国に売却されるか、
国内で解体された。
古い航空機などはアジアやアフリカの
発展途上国に売れた。
未完成の航空巡洋艦
ヴァリャーグは中国が買った。
中国は、
軍事的使用はせず水上カジノにする、
と約束をしたが、
すぐに反故にして、
中国最初の空母「遼寧」として完成させた。
■3.ロシアの情報戦で作られた平和ボケ
核兵器廃絶と軍隊の大幅削減
という大軍縮が行われた背景には、
米露の圧力、財政問題、軍の腐敗
などもあったが、
最も大きな原因は
ウクライナ社会の「平和ボケ」にあった、
とアンドリー氏は指摘する。
ソ連が崩壊して、
ウクライナが独立した時、
人々の間に広まっていた考えは
次のようなものだった。
「軍は金がかかるだけ」
「これからは平和の時代だ。
戦争が起こるはずがない」
「そもそも戦う相手がいない」
この平和ボケは
ロシア側の情報戦の結果であった
と、氏は指摘する。
__________
ウクライナが独立して以来、
ロシアは連綿とウクライナ国内で
情報戦を繰り広げていた。
テレビ局の約半数や、
人気の新聞や雑誌の半分以上は
ロシア寄りの報道、
もしくはロシア政府の公式の立場を
そのまま流していた。
多くのメディアは
ロシア資本やロシア系の資本で
運営されたのだ。
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情報戦には、ソフト的な内容も含まれていた。
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ロシア製の映画やテレビドラマが
大量にウクライナで放送されていた。
それを通して、
さりげなくロシア人やロシアでの
生活にシンパシーを持たせていた。
特に大きな役割を果たしていたのは、
ロシア軍や諜報機関、
またはロシアの警察を
英雄扱いしている作品だった。
このような作品を通して
ロシア国家の威厳が強調され、
親露感情が誘導されていたのである。
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さらに
「ウクライナとロシアは姉妹だ。
今のウクライナ政府は家族を裏切って、
ウクライナを西洋支配下に置いている」
「争いは良くない。
きっと平和的な解決があるはずだ」
などと「平和的」メッセージが
国民心理に刷り込まれていった。
不幸な事件もあった。
2000年のミサイル発射の演習で
一基のミサイルが弾道から外れて、
民間マンションを直撃した。
この事件が
「軍人が無能で国民を危険にさらすなら、
こんな軍はいらない」
「民家に当たるかもしれない
ミサイルを飛ばすな」
という反軍的世論を巻き起こした。
背後にはロシアの世論工作もあったろう。
さらに
「ウクライナはもうだめだ。
汚職が蔓延している。
若者は国外に逃げていく。
もうこの国に希望はない」
などの自虐メッセージも
吹き込まれていった。
こうした報道は、
自国を「守るに値しない国」
との先入観を植え付け、
祖国のために戦おうという気概を萎えさせ、
「寄らば大樹の陰」との依存心を増長させる。
■4.「両国が共に歩んだ歴史」?
国内での情報戦に呼応して、
ロシア側からの内政干渉も続けられた。
ウクライナ国内のロシア系住民は
平均で17.3%。
西部でこそ5.4%だが、
東部では30.3%、
クリミア半島では60.4%にも達する
これはソ連時代から
ウクライナ人の多くが
シベリアや極東(我が国の北方領土を含め)
に移住させられ、
代わりにロシア人が
ウクライナに流入した結果だった。
これらウクライナ国内の
ロシア系住民の処遇について、
ロシアは、
ウクライナ語ができなくとも
行政や教育など全てのサービスが
ロシア語で受けられるよう要求した。
ロシアの歴史的蛮行を
明記した歴史教育をしよう
という動きがあった際には、
「両国が共に歩んだ歴史が侮辱されている」
と非難した。
ロシアからの理不尽な要求を、
歴代ウクライナ政権はほとんど呑んで、
譲歩を続けた。
政府や多くの言論人は
「ロシアを挑発してはいけない」
「ウクライナはロシアと
歴史的なつながりがあるので、
ロシアの意見を無視してはいけない」
と主張した。
ウクライナが譲歩するほど、
ロシアの要求はエスカレートした。
挙げ句の果てに、
ロシアはウクライナにEU
との協力協定締結を止めさせ、
ロシアとの関税同盟に
入るように要求した。
この要求を併合の前段階だ
と危機を抱いた国民が、
親ロシア政策をとる
ヤヌコビッチ政権を倒した途端、
ロシアはウクライナへの侵攻を始めたのだった。
■5.「NATOの戦争に巻き込まれる」
アンドリー氏は、
せめてウクライナが
NATO(北大西洋条約機構)
に加盟していれば、
ロシアの侵略を受けなかったろう、
と指摘する。
旧ソ連構成国のうち、
ウクライナとジョージア(旧グルジア)
は侵略を受け、バルト3国は受けなかった。
バルト3国のうち、
ラトビアとエストニアは
ロシアと国境を接し、
200万人足らずの
人口の4分の1はロシア系である。
ウクライナとジョージアと同様、
ロシアの侵略を受けても
不思議ではなかったが、
そうはならなかった。
NATOに加盟していたからだ。
NATOは加盟国が外部から侵略されたら、
加盟国すべてが共同で防衛する義務を負う。
その加盟国には、
アメリカ、イギリス、フランス
が入っているのだから、
ロシアも手が出せない。
1949年のNATO成立以来70年間、
その加盟国の領土は
一度たりとも武力攻撃を受けたことがない。
なぜウクライナは
NATOに入らなかったのか。
ウクライナ政府は
加盟を進めようとしたことがあったが、
国民世論の6割は加盟反対だった。
「NATOの戦争に巻き込まれる」
「NATOに支配される」
「軍事費が増える」、
そして「ロシアが反発する」
などの理由からだった。
加盟に反発する
ロシアの外交的圧力もあったが、
国内世論もNATO加盟を許さなかったのである。
■6.売国政権による意図的な軍の解体
2014年2月のロシア侵攻の
引き金になったのは、
ヤヌコビッチ政権の崩壊だった。
親ロシア政策をとっていた
同大統領はウクライナの
最高議会(国会)で
解任決議がなされた後、
ロシアに亡命した。
ヤヌコビッチ政権が売国政権だった事は、
防衛大臣がロシア国籍を持つ
ロシア人だったことで明らかになった。
この人物も政権崩壊後に、
ロシアに逃亡した。
そしてモスクワのクレムリン宮殿
で行われたクリミア編入を
祝う式典に出席した。
彼がロシア国籍を
放棄していなかったことは、
逃亡後発覚したのである。
__________
このような人を
防衛大臣に任命する
大統領はどういう人か、
想像がつくだろう。
この4年間の売国政権の間は、
それまでに無秩序に起きていた
ウクライナ軍の衰退が、
意図的に軍の解体に変わった。
あの売国政権は、
ロシアの指示を受けて
ウクライナの防衛力を
削いでいたのだ。
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■7.「自らの血を流して戦わない国は、助ける意味がない」
2014年3月、
ロシア軍がクリミアを占領し始めると、
ウクライナは武力による抵抗をせず、
国際社会にロシアの暴挙を
止めるように要請した。
国際社会はロシアを批判し、
クリミア半島のウクライナへの帰属を
確認する声明を発した。
そしてロシアに対して、
直ちにロシア軍をクリミア半島から
撤退させるように要求した。
しかし、
実際にロシアの侵略を
止めるための行動をした国は
一国もなかった。
自らの独立のために
血を流して戦わない国は、
助ける意味がない、
と判断したのだろう。
しかし、
2014年4月以降、
ロシアがウクライナ東部への
侵略を開始すると、
戦わずして
国際社会に助けを求めても
無駄だと覚ったウクライナは、
弱体化した軍を立て直しつつ
自力で戦いに臨んだ。
すると、
国際社会の反応は少しずつ変わり始めた。
ロシアに経済制裁を行い、
ウクライナへの経済支援を開始した。
ウクライナ軍とNATO軍の
合同軍事演習が実行され、
NATOからウクライナ軍に
指導官が派遣された。
戦争が長引くにつれて、
対露経済制裁は次第に強化され、
ウクライナへの支援も経済援助から、
軍事物資や兵器の提供を含むようになった。
ウクライナ政府は防衛予算を2倍増とし、
兵隊の数も増やし、
装備の充実と新兵器の導入を始めた。
しかし、如何せん戦争になってからでは遅い。
■8.「明日は我が身」
ロシアとの戦いは、
ウクライナ人を覚醒させた。
旧ソ連時代の残滓の一掃を
始めたのである。
まず、
戦争前にはウクライナ各地で
2千基以上建っていた
レーニンの記念碑の撤去を始めた。
この動きをロシア政府は
「歴史を侮辱する蛮行」と猛批判している。
並行して、
ソ連時代に因む地名や
通りの名称も改められた。
自治体の名称変更だけでも917カ所、
通りや広場を含めれば万単位となる。
たとえばキエフ市の
「モスクワ通り」は
20世紀前半にウクライナ独立のために
生命を捧げた人物に因んで
「ステパーン・バンデーラ通り」となった。
__________
ソ連の後継者である
ロシアから侵略を受け、
多くの人が目覚め、
現在では、
ウクライナはソ連に
占領されていた。
という歴史認識が広まりつつある。
第二次世界大戦の評価も変わった。
それまでソ連は善で
ナチスは悪という解釈だった。
しかし今はソ連もナチスドイツも悪であり、
ウクライナはその二つの化け物の
犠牲者だったという
史実に基づく見解が広まっている。
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ヨーロッパにおける
第二次大戦がソ連とドイツによる
ポーランド分割から始まり、
ソ連はフィンランド侵攻により
国際連盟を除名されている。
こうした史実を見れば、
ウクライナの歴史認識は
正しく修正されたことが判る。
しかし、
こうした覚醒は、
ロシアの侵略を受けて、
戦争になってから
ようやく実現したものだった。
空想的平和主義から
もっと早く覚醒していれば、
ロシアの侵攻を受けて国土が荒廃し、
その一部を奪われる
という悲劇を防ぐ道はいろいろあったはずだ。
ウクライナの悲劇を
「明日は我が身」として、
我が国は防げるだろうか?