[2282] 題名:続き
名前:桃太郎
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投稿日:
2023/01/09(月) 02:15
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妙法を信じ切れないと、世間の法、つまり相対的なものの見方、考え方に陥っていく。
また、幹部同士の仲が悪いということは、互いに″自分が、自分が″という自己中心的な感情から脱し切れず、相手を尊敬することができないからである。いかに取り繕おうとも、その生命は、修羅界、勝他の念に支配されているのだ。
日蓮大聖人は、「若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」と仰せである。己心を貫く生命の大法に従って生きるのが仏法者といえよう。
人びとに賞讃されれば頑張り、非難中傷されれば仏法を捨ててしまうなど、周囲の状況によって一喜一憂するのは、己心の外に法を求める生き方といえよう。
しかし、一人ひとりが銘記すべきは、どのような幹部がいて、失望、落胆することがあったとしても、自分の信心が一歩でも後退するならば、それは、魔に翻弄され、敗れた姿にほかならないということである。
悪い先輩幹部を引き合いに出し、自分の信心の後退を正当化したとしても、結局、損をして苦しむのは自分である。相手が悪いから自分が正しいというわけではない。何があっても信心を貫き通すことが、仏法における正義であり、そこにこそ自身の人間革命も、宿命の転換も、幸福境涯の確立もあるのだ。
ゆえに、大聖人は、「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし」と仰せなのである。
末法の仏道修行の場は、荒れ狂う人間群の中にある。人の一挙手一投足に左右されるのではなく、心に師をいだき、正法を信じて、自身の一生成仏、人間革命をめざして、学会活動に邁進していくのだ。
自分の行為や実績に対し、相手や周囲がいかに評価し、賞讃してくれるか――それによって、張り合いをもち、頑張ろうとするのは人情といえよう。
また、健気に、懸命に努力している人に光をあて、讃え、励ましていくことは、リーダーの責任でもある。
しかし、たとえ自分が正しく評価されず、賞讃されることがなかったとしても、リーダーや周囲の人を恨んだり、意欲を失うようなことがあってはならない。自分の功徳、福運を消し、成長を止めてしまうからだ。
広宣流布の上げ潮をつくるうえで、それを破壊する元凶となるのが、同志間の怨嫉である。
ゆえに山本伸一は、その根本原因を明らかにし、怨嫉の根を絶っておきたかったのである。
「同志が互いに怨嫉し、憎み合ったり、足を引っ張り合ったりすれば、いくら口では正法正義を叫んだとしても、自分の心は大聖人の御心に弓を引いてしまうことになるんです。
その罪は重い。この一点だけは、絶対に忘れないでいただきたい。