[2021]
五老僧以前からの利己主義者、宗教詐欺師です。
池田先生指導(抜粋)です。
「自分自身できちんと正邪を見極めていける、確かなる信仰者を一人でも多くつくっていく。
これが今、もっとも正しく、もっとも大事な将来への道なのである。」
「御本尊に唱題し、心の眼を磨きに磨いている私どもの世界は、良き人は残り、悪人は去っていくであろう。」
「空虚な言葉よりも、熱心な祈りに価値があり、深き魂の充実がある。」
「長き法戦の途上には、さまざまな行き詰まりや失敗もあるかもしれない。
どんな困苦や一時的な後退も、すべて未来の財産としていけるのが妙法である。
要するに、根本軌道さえ厳と固めていけば、多少の試行錯誤はあっても
決して勝利への前進がやむことはないのである。」
「人間にとって、死がどれほどの苦痛であるか。皆、これが わからない。
広布のために苦労することによって、自身の宿業を転換し、
最高に安楽な 死 即 次の人生への出発を迎えられるのが、この仏法である。」
「広宣流布の世界は、おのずから広がっていく。
ゆえに、あせる必要はない。胸中の幸福の太陽を輝かせていくことが根本であり、いっさいである。」
「正法を守り、広宣流布を進めるためには、悪侶への追撃を、絶対にゆるめてはならない。」
以前は鼻糞坊主、今や4,5,6の色淫患部連中である組織破壊、広宣流布破壊の食法餓鬼たちのこと、
また、それらに妄信、狂信する哀れな人びとを、慈悲をもって破折し、祈っていくことだと思います。
「信心ふかきものも法華経のかたきをばせめず、
いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも
法華経の敵をだにも・せめざれば得道ありがたし、」 (P1494)
「謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし、
何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、」 (P1056)
『 私は、一時、一流大学出の、いわゆる才知にたけた人を重要な立場に登用してきた。
全部が失敗であったとはいえないが、近年の事件にみられた裏切りの姿は、皆さま方がご存じの通りである。
私としては、できうるかぎりの善意で成長させようと努力した人々であった。
しかし、彼らは、信心も忘れ、広宣流布の目的も忘れ、後輩への育成の愛情も忘れた。
そして、自分自身の才知を鼻にかけて、自分の名誉のため、自分の出世のため、名声のため、
自分の利益のためしか考えなくなってしまった。
そういう人徳のない、策や小才の人間が幹部になれば、人々が余りにもかわいそうである。
二度と、このようなことを繰り返してはならない。
その意味で、これからは、信心の組織でも、人柄のよい人格者が中心となっていくべきである。
いわゆる学歴や才知だけであってはならない。人徳のある、信心の深い、公平な人でなければならない。
そして自分を顧みず、法のため、人のため、後輩のために貢献していく誠実な人でなくてはならない。
このことを、後世のために強いて言い残しておきたい。 』