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[1561]

題名:池田先生指導です。

名前:FT

◇Ha62ODe2E2
MAIL 投稿日: 2022/12/05(月) 18:48 2001:268:9a2c:192f:35f7:9627:3f2e:f6d(IPv6:kddi-jpnic-jp-20000829) (2001:268:9a2c:192f:35f7:9627:3f2e:f6d)

慢心であり修羅の生命
修羅は「慢」の生命です。「慢」は、七慢・九慢など、いろいろ分類されているが、要は、他人と自分を比べて、自分が優れ他人が劣っていると思いこむ煩悩です。
いわば″自分はすばらしい″という自己像を抱いている。その自己像を壊さないことに修羅のエネルギーは注がれていくのです。だから人にも「すばらしい人だ」と思われるために、「本心を明かさない」すなわち「諂へつらう」のです。心が「曲がっている」から、自分についても、相手についても、正しく見ることができない。「慢」という「ゆがんだレンズ」を通して見る自己像は常に大きく、すばらしい姿をしている。だから、人から学べないし、自分を反省することもない。人間としての成長がない。
「御義口伝」には「上慢(増上慢)」と「我慢」についての文句記の文を挙げられています。
『疵を蔵くし徳を揚ぐは上慢を釈す、自ら省ること能わざるは我慢を釈す』と。(御書718頁)法華経の方便品には、悪世の衆生は「我慢にしてみずから矜高こうこうし諂曲にして心不実なり」(法華経132頁)と説いている。我慢の心が強く、みずからを誇り、高ぶっていながら、心は曲がり、率直でも誠実でもない、と。その通りの世相ではないだろうか。
と池田先生の指導に間違いはありません!!




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