[1537] 題名:南無妙法蓮華経の題目 池田先生のご指導
名前:One
◇KqlZtoYGfo
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投稿日:
2022/12/04(日) 10:29
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”題目を馬鹿にして策に走れば、結局は敗れる。
生命をかけた戦いに福運はつく。
皆の祈りが一緒にならないと、戦いがうねりになっていかないのです。
誰がどう言おうと何をしようと題目にはかなわないのです。
行動がないと信心とは言えないのです。
御本尊様は見通している。
信心の世界は不思議なもので、本気になってやれば、今の千倍、万倍の功徳が出るのです。
信心の世界は題目をあげきっていけば、鉄の扉が開く力があるのです。
宿命転換が、できないわけがありません。
信心の世界は皆で大勢で嵐のように題目をあげていく世界なのだ。
題目だね。一切題目だ。
百万言の指導より、百万冊の哲学書より、題目です。
題目をうんとあげなさい。祈りなさい。願いなさい。
全部その通りになって戦いは開いていく。
君自身がどれだけ題目をあげたかと言うことでしょう。
題目をあげれば自然に教学が必要となります。
題目をあげれば自然にその仕事が充実します。
苦しいことだってある。悲しいことだってある。涙にむせぶ夜もある。
ひどい心の傷を受けた日だって、そんなときは僕の心の扉をノックしてごらん。
僕の心は君のために開いている。
この耳だって、いつもどんなときだって聞いてあげる。
この眼だって、ともに涙をいっぱいためてあげる。
うれしいことは言わなくてもよい。君の顔を見ればわかる。
つらくいやなことはすべて僕に話してごらん。
君の重苦しい身体を半分背負ってあげる。
そして一緒に歩いていこう。
「祈りとは、人間の大宇宙に対する敬虔な心であり、偉大なものに対する畏敬の念の発露である、といえるかもしれない。
理論でも、学問でも、科学でもない。人間と宇宙の「つながり」「関係性」「対応」という、人類が自ずから知っているもの、感じているものから発しているのです。合掌して祈ろうとする姿、行為は尊いものです。」
「私たちは、無宗教と自称する人でも、何かを心から願っている。何かを心の底で祈っている。これらを、宇宙の法則のうえから、祈りと現実がきちんと合致していくようにしたのが、仏法の祈りです。」(青春対話Ⅱより引用)”