[14369] 題名:村山談話
名前:霞ヶ関リークス
◇F0RzX/K5nI
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投稿日:
2025/11/15(土) 21:49
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河野談話、村山談話というものがあります。
村山富市さんは日本社会党の委員長です。
日本社会党の考え方というのは、マルクス・レーニン主義に基づく唯物史観に
のっとった歴史観です。
これは常識的に考えると、村山談話は村山さんが総理大臣のときは有効ですよ。
河野さんが官房長官をやっているときは河野談話でいいのです。
けれども、その後、例えば菅さんが菅談話を出せば、これは「安倍晋三内閣の
間はこの菅談話が有効である」そういう立場を日本政府が取るということです。
あれは法律でも立法でもないし、憲法でもないのであって、それが未来永劫日
本を縛るなどということはあり得ないです。
これは一方的なstatement(ステートメント)であって、共同声明でも何でも
ないのです。
逆に日本人がそういうところに縛られているということ自体が、よく考えると
非常に滑稽なのです。
池田大作個人で、あたかも自分が何かいい人であるかのように、中国人に対し
て、あるいは韓国対して、「日本は悪いことをしました」と謝るではないですか。
私はとんでもないことだと思います。
あれは国家対国家の問題であって、ましてやその先輩たちに対して無礼だと思
うのです。
どういう動機でこういうことが始まったかということから考えないと、何か1
人がいいことぶって「日本国民に代わって謝ります」。
「日本国民はあなたにどういう資格を与えたのか」と言いたいですね。
かえって本当に滑稽です。
大東亜戦争で310万人ぐらい日本人は死んだと思います。
死にましたけれども、われわれはわれわれの国益を信じて、そしてある一定の
思想的な確信を持って戦ったのであって、国際法的にいえばあらゆる国は平等
に、みんなそれぞれ国益を推進するということはそれぞれの国の正義ですから、
どの国の正義が上ということも本来ないのです。
戦略、戦術論からいえば、日本は売られたけんか、これに巻き込まれてしまっ
たということです。
では、始めたときはそれなりの正義もあった、ですからそれを謝罪することも
ないし、個人も集団としても謝ることもないのです。
というのは、世界政府というのがありませんから、国際法上で国家というのは
みんな平等です。それぞれが正義を信じて戦争をやる。
それで、講和条約などというのは個人間でいえば示談のようなものです。
戦争に負けたら領土を取られ、賠償金を払うということで、どちらが正しいな
どということは講和条約に書いていないのです。
そうしないと国際法というのは成立しません。
日本人は非常にきれいな戦争を戦ったので悪いことというか、集団大虐殺など
そのようなことはやっていませんが、万が一あったとしましょう。
ではそれで国家として他人を追求できるのか。
逆に日本が被害者の例をあげると、広島、長崎、これは国際法違反のアメリカ
が原爆を落としました。
けれども、それは時の為政者、落とした人の罪です。
私たちが今アメリカ人全般に「謝れ」などと言うことはおかしいでしょ。ナン
センスです。
道徳的にはアメリカはやる必要のないことをやった、あるいは当時の為政者の
判断が間違っていたという人たちが出てきて、日本人に「お気の毒です」と言
う人がいれば私たちはうれしいけれど、それは道徳的な満足感であって、
法的に「おまえ、謝れ」などと、そういったこと自体がナンセンスなのです。
民間人で国を代表する資格もない人が謝罪するなどはあり得ません。
もし国家を代表して謝罪するという人は、まず賠償金を払い、そのやった当の
人間を召致しないといけません。
そういうことは、国家としては国際法上平等なのだから、絶対そのようなこと
はあり得ません。
そういうルールを破ろうとしたのが東京裁判やニュルンベルク裁判なので、こ
れは国際法上無効だというのが私の主張です。
本当に、それは自分だけいい人になりたいシンドロームと言いますか。
そうすると向こうは政治的に利用できるのだから、「そうだそうだ」と言って
拍手をしていれば、それで企業だったらおいしい利権にでもありつくなど、そ
ういうことになってしまうのでしょう。
本当に滑稽だし、日本人としては悲しいですね。
かつて日本の青嵐会というのができて、中川一郎とか石原慎太郎などがいたのです。
そのときに、周恩来というのはなかなか大した野郎で、お世辞を言ってくるのです。
「最近の日本人はだらしなくなったけれど、青嵐会の人たちは立派だ。私も日
本人だったらああいう行動を取るでしょう」と、戦前のことから比べたら当然
ですということを言うのです。
これはやはり敵を手なずけるというか、篭絡する非常にうまい高度なお世辞です。
松下も14くらいですか、随分工場を作りました。あの国が本当に貧しいときに、
いい雇用を作り、輸出競争力を付けてやったのです。
前はちょっとしたことがあっても松下の工場だけは守っていました。
ところがこの間、もうだいぶ経って利用価値がなくなったと思ったら、たちま
ち焼き討ちに遭ってしまうのです。
人類が作ってはいけないものの1つは、中国を厚く巨大化させたことでしょう。