[14365] 題名:池田先生直結の創価学会
名前:ジョーカー
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投稿日:
2025/11/15(土) 10:13
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法華経の智慧6巻 P,367より
「法華経を論じたと言っても、まだまだ浅いし、十分ではない。日蓮大聖人の仏法は限りなく深いものです。だから、これまでの研鑽をもとに、将来、さらに完璧な法華経論を目指してもらいたい。妙法を広宣流布している我々にしか、法華経の真髄は決してわからないからです。」
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創価学会は、師弟を重んじる宗教団体である。それは一体なぜか。創価の三代の師弟の戦い(信心)
の中に、法華経の真髄が体現されているからである。だからこそ創価学会は、創価三代を永遠の指導者とし、就中、池田門下においては、池田先生の指導を根幹とする。それが、正しく日蓮仏法を行じる道であり、創価学会員であることの共通事項と言えよう。
法華経の真髄を体現しなければ、世界広布の途を切り拓くことは、絶対に出来得ない。それを、池田先生を中心とする創価学会は事実の上で成し遂げた。創価の師弟の精神の中に、仏意仏勅が息づいており、日蓮大聖人直結の信心であることの証左である。逆に論じるならば、広宣流布の破壊の途は、創価の師弟の精神を蔑ろにし、軽んじ、亡きものにしていくことであると導きだすことが出来る。
浅きを去って深きに就くのが丈夫(仏)の心であり、師弟においても従藍而青であることは、仏法者の前提である。教義や法華経論の展開においても、池田先生の指導・講義(研鑽)を元に、さらなる発展をさせていくのがあるべき師弟の姿であり、今までのことをなかったものにする「リセット」的な考えは、師弟の冒涜に他ならず、破滅の途であることを知らねばならない。
破壊の途を免れるためにも、池田先生直結の創価学会を構築していくことである。そのためには、身口意が一致していなければならない。今の状態は、池田先生を宣揚しながら、実質的には池田先生を蔑ろにしているという、身口意不一致の状況にある。ここに、創価学会衰退の因がある。であるならば、今一度、池田先生の思想(指導)に立ち還り、実践していくことが肝要となる。
本日は池田先生の三回忌であり、会員一人ひとり、思うところがあると思います。だが、去って去らずの法理こそが仏法であり、仏眼で観るならば、池田先生は厳然として存在している。私は、11月15日を「池田先生と共に」、戦いを開始する日と決めている。真に呼吸を合わすべきは、時の会長や執行部、諸々の幹部ではない。池田先生直結の一念の中にしか、創価学会の異体同心の団結など、あろうはずがないのである。
私は、54年の一連の出来事を、池田先生直結の一念でないことが露呈した歴史と観ている。今も同じことが繰り返されている。その流れを一体誰が止め、池田先生直結の創価学会を創り上げていくのか。これは、一人ひとりの会員に、「平等」に問われている課題ではないだろうか。何故ならば、誰が上とか下とかではないのが、創価学会であり、日蓮仏法なのだから。創価の師弟に立場は関係ないが故に、私は私の戦いを起こすのみである。