[14211] 題名:公明党の連立離脱に思う
名前:ClearSky
◇UfzVKDOX76
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投稿日:
2025/10/31(金) 16:22
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公明党の連立離脱が今は話題のようであり、会員もいろいろと騒がしいように見えます。
連立離脱前から問題はありました。また、連立離脱で問題が解決されたわけでもありません。連立する/しないに拘わらず、問題は問題だったと思います。
公明党が自民党を26年間アシストしたことが、平和の後退、政治における金の問題の原因であったと私は考えます。
平和や裏金の問題を放置して良いとは思いませんが、会員の政治における支援について、もう一度掘り下げて考えてみたいと思います。
最初に党に関する私の認識を記します。
先ず、一向になくならない政治資金の悪用・誤用に関してです。
実は、政治資金収支報告書を読むと、政治資金を悪用しているのは自民党議員だけでなく、公明党議員もそうであることが分かります。
全ての公明党議員がそうであると断定するまでは調べていませんが、多くの議員が不適切な状態にあると言えます。
連立離脱前からこの問題はあり、連立離脱後も問題は解決されていません。
そもそも公明党議員は創価学会員の手弁当で応援してもらっていますので、それほど金が掛かるようには思えませんが、どうしてそんなに多くの金が必要なのでしょうか。自民党の議員と同じように、パーティを開いてまで金を集める必要があるとは思えません。私には理解できません。
次に、平和の問題です。
確かに、高市政権の外交・安全保障は大いなる懸念があります。
しかし、そもそも公明党が自民党を支援しなければ、ここまで平和が脅かされることはなかったのではないでしょうか。選挙協力だけではありません。各種政策においても問題だったと思います。特に、平和に関しては、集団的自衛権の限定的容認、敵地攻撃、先制攻撃、戦闘機開発、防衛予算の拡大など、自民党と一緒になって、外堀をどんどん埋めていったのは公明党です。
連立を離脱したからと言って、「いまさら、きれいごとを言うな」と言うのが多くの人の本音です。そして、その公明党を支援してきたのは、ほかならぬ創価学会員です。結果として、その自民党を応援し、政治を悪化させのは会員だったと言われても仕方がありません。
会員の政治とのかかわりに関して考えてみたいと思います。
ここで、創価学会の支援について、その原点を確認しておきます。
小説:人間革命から引用します。
第10巻「展望」の章:
「だからこそ、社会のあらゆる分野に、御本尊を持った真に優れた人材を送り出していくのが、創価学会の使命なんだよ。それらの一人ひとりの、偉大な人間革命の実践が、新しい世紀における人類社会に、偉大な貢献をすることになる。政体とか、政権といったものは、長い目で見れば、その時代、その時代で変わっていくものだ。そんな移ろいやすいものに、目を奪われてはいけない。民衆自身に光を当てていかなければ、この厄介な社会を寂光土化する広宣流布という仕事は、決してできはしない。」
第9巻「展開」の章:
「戸田城聖の醒めた心は、彼の半生の結論として、政治の世界に巣くう権力の魔性の存在を、疑うことができなかった。本来、民衆の平和と幸福に奉仕すべき政治が、いつの間にか民衆を苦しめる魔力と化していく――その現実を鋭く見抜いていた彼にとって、政治の根底的な変革とは、魔性との戦いにこそ、その焦点があることは明白であった。一つの政治権力が打倒され、新たな別の政治権力が登場しても、その魔性は消滅しないことも、彼は知っていたのである」
「民衆の平和と幸福のためになるのであれば、どんな政治形態であっても差し支えないだろう。彼は、政治形態を批判していたのではない。政治そのものに巣くう魔力が、問題の焦点であった。それは、政治権力を握った者、政治家の内にこそ潜んでいることは理の当然である。魔は、自由主義体制や社会主義体制に潜んでいるのではない。それらを支えている政治家、その人間の内部に巣くう魔の力が、それらの体制をむしばんでいることを、彼は問題の帰結としたのである。」
「――私利に走り、党略に没頭して、権力の争奪に専念する政治家たち。そのような政治家の徒党集団と化していく政党。そして政治から置き去りにされ、その犠牲となるのは、常に民衆である。戸田は、民衆の怒りを肌で知っていた。しかし、権力悪の根源を見抜いていた彼は、民衆の怒りを、直接、政治勢力化して行動を起こしたとしても、それだけでは、真の民衆のための政治の実現という根本的な変革からは、程遠いことも承知していた。」
以上、戸田先生と池田先生の「広宣流布と政治」についての思索の一端を知ることができます。
創価学会の支援とは「妙法の政治家」、つまり「権力の魔性を打ち破れる妙法を持った政治家」を政界に送り出す運動だったはずです。改革に時間はかかるでしょう。しかし、権力の誘惑に負けず、金にまみれることもなく、ただひたすらに平和と幸福のために邁進する政治家を送り出す。それが学会の「支援」だったのではないでしょうか。人間革命し続ける議員だと信じたからこそ政界に送り出してきたのだと私は思います。
それが、いつの間にか公明党議員の当落、議員数、政権入り、法案を左右することを誇るだけの政党・議員に成り下がってしまいました。「権力の魔性」に魅入られた幹部が、「権力の魔性」に支配された議員を政界に送り込む儀式が「支援」になっているように思います。信濃町でも、現場でも「権力の魔性」を見抜ける人材は誰一人としていないようです。問題は、政治体制でもなく、議員の資質でもありません。会員が本当に問題にすべきは、権力の魔性に手を貸す幹部と議員の問題ではないでしょうか。それは会員自身の問題でもあります。もっと「権力の魔性」に関して目を向けるべきです。だから、今の支援を続けても、平和にもなりません。生活が豊かになることもありません。公明党が連立にいる/いないの問題ではないのだと思います。
本来、議員も会員も闘うべき相手は「権力の魔性」です。また、それを可能にするのは「大聖人の仏法」と「三代会長の指導」を根本にしなければなりません。
今、自界叛逆とも言うべきき紛争に巻き込まれて、いちいち心を動かされる必要はないと思います。また、公明党の連立離脱に一喜一憂する必要もありません。今こそ本義に立ち返り、堂々と平和と幸福の実現を心から叫び、それらの実現を願っていくべきだと思います。そのために、会員一人ひとりが「権力の魔性」と戦うべきです。
マスコミはいろいろ騒いでいますが、それにつられて浮足立つべきではありません。今こそ、地に足を着けて「支援」の原点、仏法の視点から政治とのかかわりに関して考え直す時だと考えます。
小説:人間革命第9巻「展開」の章、第10巻「展望」の章を再読してはどうでしょうか。
そして、「権力の魔性」に目を向け、そこから政治との関りについて考えてみるのは如何でしょうか。