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[14073]

題名:なぜ高市早苗は政治家になったか

名前:霞ヶ関リークス

◇F0RzX/K5nI
MAIL 投稿日: 2025/10/11(土) 21:33 2a02:6ea0:3f09:1001:9df8:9b26:df55:23f4(IPv6:) (2a02:6ea0:3f09:1001:9df8:9b26:df55:23f4)

今月15日に首相指名選挙が
おこなわれる予定で、

高市さんが新首相になるだろうと
見込まれています。

今日は、そんな高市さんの
原点に迫ってみたいと思います。

世襲ではない高市さんが
なぜ政治家を志すようになったのか?

意外と知られていない
彼女の歴史をぜひご覧ください。

(高市氏)

国会議員になると決心固めたのは
24歳の春なんですね。

大学では経営数学を専攻していたんですけれども、
大学4年生のときには普通に就職活動をやって、

そこそこ安定したところに行く予定やったんです。
内定をいただいて。

ところが、大学にポスターが貼ってあって、
「松下幸之助 塾生募集」って書いてて。

それを持って帰って見てみたら、
「将来の日本のリーダーを育てます」と。

「研究費ももらいながら最先端の勉強ができる」
というような感じやったんで「ここも面白そうや」と思って、

他の就職試験も複数受けながら、
一次試験、二次試験とこう受けて、
三次試験で松下幸之助さんに会って、
「この人の下で勉強してみたい」って思ったんです。

それはむしろ、私が経営学部だったから、
当時の「経営の神様」の元で経営を学びたいと、
ビジネスに興味がその当時はあったんです。

入って1年経った頃に松下幸之助さんと
色々お話をする機会がありました。

24歳の春でした。

このときは1985年で、まだ東西冷戦、
アメリカとソ連が睨み合ってた時代です。

日本経済絶好調で、
もうアメリカに追いつけ追い越せ。

もう追い越してる分野もたくさんあって、
ジャパンバッシングがすごい時代。

そんな時代において
松下幸之助さんはこうおっしゃったのです。

「この1990年代になったら、
日本は長期不況に突入する」と。

ゾッとしました。

アメリカも抜く勢いだというのに、
長期不況ってどんなになっちゃうんだと。

その話を聞いた夜、考えたんです。

にわかには信じがたかったんですが、
経営の神様が言うことだから、
もしかしたら当たっているかもしれない。

90年代になったら
すごいことが次々起こるかもしれない。

それだったら、一つの組織で働くよりも、
その国の仕組みをちゃんと整えておくとか、
リスク管理ができるようにしておくとか、
そういう仕事をしたいなと本気で考えて。

その日の夜中には、
「ちょうどその1990年代になる頃に、
国政に出よう」と決めました。

引用:【スペシャル対談】世襲ではない高市早苗が
どうして政治家を目指したのか?(サナエの素顔が今夜明かされる)
https://youtu.be/333gxFWxUA8?si=BaPMAjsL7BAuWkWv



今も生きる松下幸之助の教え

高市さんの政治家としての原点には、
パナソニック創業者・松下幸之助さんがいました。

そんな松下幸之助さんの教えは、
今でも高市さんの思想や政策に
生きているといいます。


「高市総裁を形作った5人のキーパーソン」には、
このように書いています。

松下氏は晩年、
日本の政治的リーダーシップに
強い危機感を抱いていた。

1979年、84歳の時に私財70億円を投じて
松下政経塾を設立した。

単なる学問の場ではなく、
自らの経営哲学と国家観を
次世代のリーダーに伝えるための私塾だった。

高市氏は政経塾の第5期生として学んだ。

彼女は、松下氏の以下の言葉をノートに書き留め、
常に持ち歩いていると公言している。

「一国の安定した発展のためには、
国家経営の理念を持つことが最も重要である」

松下氏から「物差し」を
授かったと高市氏は述べている。

これは判断の基準となる原則のことだ。

「素直な心」で物事の本質を見極めること。
初心を貫き通すこと。

こうした原則が、
彼女の政治活動の判断基準となっている。

高市氏の政策の柱である「経済安全保障」は、
短期的な対応ではない。

国家を長期的に維持するための戦略である。

経営者が持続的な会社の成長戦略を立てるように、
国家も長期的な視点で経営するというこの視点は、
松下氏から受け継いだものだといえるだろう。

決意から40年、自民党総裁へ

1985年の春、24歳の高市さんは
松下幸之助さんの予言を聞いて、
政治家になることを決意しました。

「1990年代に国政に出よう」

そして実際に、1993年に初当選。

松下幸之助さんの予言通り、
日本は「失われた30年」に突入しました。

これまで高市さんは一貫して、
「国家経営」という視点を持ち続けてきました。

派閥の論理ではなく。
短期的な支持率でもなく。

日本という国を、
12年後、20年後も存続させるために。

24歳の夜に決めた
「国の仕組みを整える」という使命を、
今まさに果たそうとしています。

高市新政権は、松下幸之助さんが願った
「日本の再生」を実現できるのか。

私たちは歴史の転換点に
立ち会っているのかもしれません。




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