[13974] 題名:13968 国道469号線さん
名前:霞ヶ関リークス
◇5WBnmh.AZo
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投稿日:
2025/09/30(火) 17:27
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つまり、開目抄で蓮師は摂受・折伏を論じるのに、その経証として、摂受には
法華経安楽行品、折伏には大経、その釈として止観を引用しています。
ここに書かれていることが「執持刀杖斬首」ということです。
ですから、大経(仏説)止観(釈)によって敢えて自義を構えずであれば、蓮
師の折伏観は、この大経・止観であることは疑問の余地はありません。
この前提で、念仏・禅の言説攻撃は折伏に当たるかどうかということが議論に
なっているわけです。
しかし、蓮師は折伏を「(在家)斬首是折義…当断其首…折伏破法之人」とい
うばかりで、言説攻撃の根拠となる経釈を挙げていないわけです。
こうなると、蓮師が言説攻撃を折伏の範疇に収めていたか否かがわからないと
記してきたのです。
ですから、蓮師折伏義において、言説攻撃が折伏であるというのであれば、そ
れを蓮師は「任仏説 敢無存自義」という以上、その言説攻撃を折伏の証とす
る経釈の引用があってしかるべきではないか、ないとすれば、そのように蓮師
の言説攻撃を折伏と言うことはできないと記してきたわけです。実に簡単明瞭
なことを書いてきたわけです。
このような問いかけに対して、以下の経釈が言説攻撃=折伏に当たるという意
見があったわけです。
○涅槃経…不能降伏非法悪人。如是比丘不能自利及利衆生。当知是輩懈怠懶惰。
雖能持戒守護浄行当知是人無所能為 乃至 時有破戒者聞是語已咸共瞋恚害
是法師。是説法者設復命終故名持戒自利利他
この文が言説攻撃=折伏の証であると言いますが、この結論は「持戒」となっ
ています。言うまでもなく、持杖(折伏):持戒(摂受)は蓮師の基本的な考
えですから、持戒を以て折伏というのは矛盾を来すことになります。
また、ここでも折伏という語は使用されていません。
○ 涅槃経…若善比丘 見壊法者 置不呵責 駈遣挙処 当知是人 仏法中怨。
若能駈遣 呵責挙処 是我弟子 真声聞
ここでは既に前段の摂折問答は終わり、新たに「問て云く念仏者・禅宗等を責
めて彼等にあだまれたる、いかなる利益かあるや」という問に対する経証なの
であって、これ以降の引用を言説攻撃=折伏の経証となっていません。
むしろ、ここからは『転重軽受法門』で見られる如く、過去の重罪を消す方途
として逢う難について述べるのであって、故にその結論が「日蓮が流罪は今生
の小苦なればなげかしからず。後生には大楽をうくべければ大に悦ばし」と、
文が終わっています。
全般を通じてみるに、摂折は前後あってもその選択(折伏正意といった類の二
極選択)をいうものではない点は、誤解を解消する必要があります。
また蓮師の行動は引用される折伏・摂受の経釈には当てはまらないこと。(執
持刀杖斬首=折伏、不称長短=安楽行)
開目抄全般の文意は摂折にあるのではなく、自身逢難の説明となっていること。
以上の点から開目抄は読まれてしかるべきです。