[13967] 題名:池田名誉会長講義 如説修行抄
名前:霞ヶ関リークス
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投稿日:
2025/09/29(月) 21:49
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池田名誉会長講義 2010-1
勝利の経典『御書』に学ぶ
第13回 如説修行抄(上)
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日蓮の真蹟には一度として引用されない『文句』の「法華折伏破権門理」は法
華経が折伏の教説であること証拠として常に引用されます。
これはまた、たぶん、偽書の『如説修行抄』で末法折伏を主付ける証
拠として上げられるところからも、そうなのでしょう。
しかしながら、真蹟遺文から見る限り、日蓮は、法華経を折伏とは言っていな
いわけです。たとえば『開目抄』では
止観云 夫仏両説。一摂・二折。如安楽行不称長短是摂義。大経執持刀杖乃至
斬首是折義。
と法華折伏とは裏腹に法華経安楽行品を挙げて摂受、大経(涅槃経)を挙げて
折伏というのであって、「法華折伏破権門理」とは逆の釈を採っています。
ついでながら、記せば、
無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行品のごとし。
邪智謗法の者多時は折伏を前とす。常不軽品のごとし。
わたしは日蓮のように文脈を大切にする人であると考えています。もし、ここ
に日蓮が「~のごとし」と入れるとすれば、先の止観を受けた形で書くはずで
すから、「大経のごとし」とするほうが相応しいだろうと考えます。
さて、摂受と折伏、どちらが先かという問いとして
悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国当世は悪国か破法の国かとしるべ
し
と問いかけます。
この問いは、「若有更為当断其首。如是等文 並是折伏破法之人。」
(若し更に為すこと有れば、当に其の首を断つべし。是の如き等の文、並びに
是れ破法の人を折伏するなり。)
つまり破法=折伏を受けた文でしょう。となれば、日本が破法の国であれば折
伏ということになります。
┌悪国=摂受
└破法の国=折伏
ここで、日蓮の他の真蹟を見ます。
『開目抄』に「‘悪国’悪時これなり。具には立正安国論にかんがへたるがご
とし」
『富木殿御返事』に「諸天善神去此‘悪国’故」
『曾谷入道殿許御書』に「其外閻浮守護天神地祇或去他方 或住 此土不守護
於‘悪国’」
以上、日蓮は、日本国を悪国であると書いています。
ならば、日本は摂受が先ということにならないでしょうか。
ただし、日蓮は摂受か・折伏かという二者択一を説いたのではなく、どちらが
先かを言ったのでした。
個人的には、身延曽存、後5月の『顕仏未来記』、また『富木殿御返事』など
と比して、文体が著しく異なり、メンタリティにも格段の相違があると感じま
す。
茨城県富久成寺蔵・伝日尊筆「如説修行抄」古写本は、前半部と後半部では、
筆跡が異なり、奥書の署名は、静岡県伊豆実成寺蔵の日尊自筆書状の筆跡とは
異なります。
文献学的に考えて、日尊は、日蓮の孫弟子ですから、確かな日尊古写本が存在
したとしても、もとより、身延曾存遺文・日興等六老僧古写本と比べて、信頼
度は格段に落ちます。
ところが、「如説修行抄」は、とてもその孫弟子の写本とも認めることができ
る代物ではありません。
⇒ 偽書