[13941] 題名:>文底から読めば
名前:霞ヶ関リークス
◇5WBnmh.AZo
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投稿日:
2025/09/26(金) 17:41
2001:ac8:88:9001:c82c:38f7:ee57:8250(IPv6:) (2001:ac8:88:9001:c82c:38f7:ee57:8250)
文底から読めばというのは日蓮教学ではありません。
正確に言えば、「中古天台本覚思想恵心流口伝法門を」ということになるでし
ょう。
日蓮が【 文底から読めば 】と仰っているのなら文証の提示をお願いします。
観心は法華経本門に説かれていません。故に「文の底」というのです。
本門までは天台は証しましたが、観心は説いていない。故に『開目抄』に「龍
樹天親知て、しかもいまだひろいいださず。但我が天台智者のみこれをいだけ
り」というのでしょう。
「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」ですが、
聖人は、この一文の主語を誰だとして書かれているのでしょうか。
法華経の文面では観心は表に現れていませんよ。
九世・日有が『法華経』寿量品の「如来秘密神通之力」の文に文底秘沈の意義
を認めたにもかかわらず、二十六世・日寛は寿量品の「我本行菩薩道」を文底
秘沈の文とした、という両法主の見解の相違がある。
日有は、日興の言として「如来秘密神通之力」を文底秘沈の文とし、日昭等の
門流が主張する「然我実成仏已来」説を否定した(『有師談諸文書』、要2-152
)。
日順・日叡両師の開目抄の引用文ではいずれも身延曽存の御真蹟と同じく「文
底ニ沈メタリ」であり、これが初期日興門流における開目抄の当該部分の伝承
であり、逆説的に見ると、文底秘沈の成句は初期興門には存在しなかった証に
なります。
故に文底秘沈の成句もまた、石山の後付け教学であり、秘の字は室町以後の石
山の転化であると言うのが事実であると考えます。