[13931] 題名:続き
名前:FT
◇S3OiZExQd2
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投稿日:
2025/09/26(金) 07:15
p027.net182021176.tokai.or.jp (182.21.176.27)
開目抄にいわく「詮ずるところは天もすて給え、諸難にもあえ、身命(しんみょう)を期(ご)とせん」
佐渡御書にいわく「強敵(ごうてき)を伏(ふく)して始めて力士をしる。悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人(かたうど)をなして智者を失はん時は、師子王の如くなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。これおごれるにはあらず、正法を惜しむ心の強盛(ごうじょう)なるべし。おご(傲)れる者は必ず強敵に値(あ)いておそるる心出来(しゅったい)するなり」(九五七㌻)と。
この御文は、不惜身命の信心こそ、真実の幸福への直道(じきどう)であることを教えられたものである。
しかし、不惜身命とは、たんに生命を惜しむなということではない。真実の仏法に生ききり、そこに自己の生命を帰していくということであり、わが生命をどこまでも広宣流布という長期的な実践のために、最大限に生かしきっていくためであるといえる。命を粗末にしてもいいということではけっしてないのである。
自己の宝器(ほうき)をできうるかぎり大切にし、長く妙法のために使いきっていくことこそ、信仰者としての最大の課題なのである。尊い生命をどこまでも維持し、いつまでも長生きして、どれだけ広宣流布のために、社会に価値ある仕事をし、人びとに貢献していったか、これがもっとも大事であることを知っていただきたい。