[13908] 題名:真実
名前:FT
◇S3OiZExQd2
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投稿日:
2025/09/23(火) 23:57
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妙法こそ生命を磨きゆく根本である。「一生成仏抄」には次のように仰せである。
「譬えば闇鏡《あんきょう》も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし 、深く信心を発《おこ》して日夜朝暮に又懈《おこたら》らず磨くべし何様《いかよう》にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」(御書384㌻)
たとえば、曇った鏡も磨きあげれば、玉のように輝いていく。迷い悩む生命は、磨かない鏡のようなものである。これを磨くならば、必ず、真実の悟りの智慧の明鏡となる。深く信心を奮い起こして、朝も夕もつねに怠ることなく生命を磨かねばならない。どのように磨けばよいか。(御本尊に)南無妙法蓮華経と(自行化他にわたる)題目を唱えていくことが、生命を磨いていくことになると。
現代は悪縁の絶えない社会である。清浄な生命も、すぐに曇り、汚れてしまう。ゆえに、この生命錬磨の根本法が絶対に必要となる。
磨きぬかれた生命には智慧が輝く。その智慧は〝人生の勝利〟を導く光となる。法華経の法師功徳品第19には、妙法を受持した人の智慧を「又《ま》た浄明なる鏡に 悉《ことごと》く諸《もろもろ》の色像を見るが如く」と説く。清浄にして明るい鏡が、あらゆる物の像をはっきりと映し出すように、磨きぬかれた生命は、世の中のあらゆる現象を明瞭に見ぬくことができるのである。
この経文について、日蓮大聖人は「御義口伝」に次のように仰せである。
「六根清浄の人は瑠璃明鏡の如く三千世界を見ると云う経文なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり」(御書763㌻)と。
瑠璃とは七宝の一つ。六根清浄とは、この法師功徳品に説かれた、正法の実践者の功徳である。すなわち眼《げん》・耳《に》・《鼻び》・舌《ぜつ》・身《しん》・意《い》の六根という知覚・感覚の機能、つまりは生命の全体が清浄に輝いてくる。
鍛えられ、磨かれたこの生命の「明鏡」は、宇宙と社会と人間の全体を、あますところなく映しだす。「明鏡」とは根本的には、御本尊のことであられる。すなわち日蓮大聖人の御生命である。総じて、御本尊を信ずる大聖人門下の「一心の明鏡」である。
信心の重大な意義がここにある。強盛なる信心によって生命の色心が、もっとも清浄に、もっとも力強く、向上し変革されていくのである。大切なことは、信心 による生命の浄化は、〝人間としての勝利〟の原動力となることである。ゆえに信心を最後の最後まで貫き通さねばならない。