[13871] 題名:魔は仏には絶対勝てない!!
名前:FT
◇S3OiZExQd2
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投稿日:
2025/09/20(土) 06:32
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問うて云く雙観経等に乃至十念・即得往生なんど・とかれて候が彼のけうの教の如く十念申して往生すべきを後の経を以て申しやぶらば謗法にては候まじきか、答えて云く仏・観経等の四十余年の経経を束て未顕真実と説かせ給いぬれば此の経文に随つて乃至十念・即得往生等は実には往生しがたしと申す此の経文なくば謗法となるべし、問うて云く或人云く無量義経の四十余年未顕真実の文はあえて四十余年の一切の経経・並に文文・句句を皆未顕真実と説き給にはあらず、但四十余年の経経に処処に決定性の二乗を永不成仏ときらはせ給い釈迦如来を始成正覚と説き給しを其の言ばかりをさして未顕真実とは申すなりあえて余事にはあらず、而るをみだりに四十余年の文を見て観経等の凡夫のために九品往生なんぞを説きたるを妄りに往生はなき事なりなんど押し申すあに・をそろしき謗法の者にあらずや・なんど申すはいかに、答えて云く此の料簡は東土の得一が料簡に似たり、得一が云く未顕真実とは決定性の二乗を仏・爾前の経にして永不成仏ととかれしを未顕真実とは嫌はるるなり前四味の一切には亘るべからずと申しき、伝教大師は前四味に亘りて文文句句に未顕真実と立て給いき、さればこの料簡は古の謗法者の料簡に似たり、但し且く汝等が料簡に随て尋ね明らめん、問う法華已前に二乗作仏を嫌いけるを今未顕真実というとならば先ず決定性の二乗を仏の永不成仏と説かせ給し処処の経文ばかりは未顕真実の仏の妄語なりと承伏せさせ給うか、さては仏の妄語は勿論なり若し爾らば妄語の人の申すことは有無共に用いぬ事にてあるぞかし、決定性の二乗・永不成仏の語ばかり妄語となり若し余の菩薩・凡夫の往生成仏等は実語となるべきならば信用しがたき事なり、譬へば東方を西方と妄語し申さん人は西方を東方と申すべし二乗を永不成仏と説く仏は余の菩薩の成仏をゆるすも又妄語にあらずや、五乗は但一仏性なり二乗の仏性をかくし菩薩・凡夫の仏性をあらはすは返つて菩薩・凡夫の仏性をかくすなり。 有人云く四十余年未顕真実とは成仏の道ばかり未顕真実なり往生等は未顕真実にはあらず、又難じて云く四十余年が間の説の成仏を未顕真実と承伏せさせ給はば雙観経に云う不取正覚成仏已来凡歴十劫等の文は未顕真実と承伏せさせ給うか、若し爾らば四十余年の経経にして法蔵比丘の阿弥陀仏になり給はずば法蔵比丘の成仏すでに妄語なり、若し成仏妄語ならば何の仏か行者を迎え給うべきや、又かれ此の難を通して云ん四十余年が間は成仏はなし阿弥陀仏は今の成仏にはあらず過去の成仏なり等と云云、今難じて云く今日の四十余年の経経にして実の凡夫の成仏を許されずば過去遠遠劫の四十余年の権経にても成仏叶いがたきか、三世の諸仏の説法の儀式皆同きが故なり、或は云く不得疾成・無上菩提ととかるれば四十余年の経経にては疾くこそ仏にはならねども遅く劫を経てはなるか、難じて云く次下の大荘厳菩薩等の領解に云く「不可思議無量無辺阿僧祇劫を過るとも終に無上菩提を成ずることを得ず」等と云云、此の文の如くならば劫を経ても爾前の経計りにては成仏はかたきか。 有は云う華厳宗の料簡に云く四十余年の内には華厳経計りは入るべからず、華厳経にすでに往生成仏此ありなんぞ華厳経を行じて往生成仏をとげざらん、答えて云く四十余年の内に華厳経入るべからずとは華厳宗の人師の義なり、無量義経には正く四十余年の内に華厳海空と名目を呼び出して四十余年の内にかずへ入れられたり、人師を本とせば仏に背くになりぬ。 問うて云く法華経をはなれて往生成仏をとげずば仏世に出させ給ては但法華経計をこそ説き給はめ、なんぞ・わづらはしく四十余年の経経を説かせ給うや、答えて云く此の難は仏自ら答え給えり「若し但仏乗を讃せば衆生苦に没在して法を破して信ぜざるが故に三悪道に墜ちなん」等の経文これなり、問うて云くいかなれば爾前の経をば衆生謗ぜざるや、答えて云く爾前の経経は万差なれども束ねて此れを論ずれば随他意と申して衆生の心をとかれてはんべり故に違する事なし、譬へば水に石を・なぐるに・あらそうこと・なきがごとし・又しなじなの説教はんべれども九界の衆生の心を出でず衆生の心は皆善につけ悪につけて迷を本とするゆへに仏にはならざるか、問うて云く衆生謗ずべきゆへに仏・最初に法華経をとき給はずして四十余年の後に法華経をとき給はば汝なんぞ当世に権経をばとかずして左右なく法華経をといて人に謗をなさせて悪道に堕すや、答えて云く仏在世には仏・菩提樹の下に坐し給いて機をかがみ給うに当時・法華経を説くならば衆生・謗じて悪道に堕ちぬべし、四十余年すぎて後にとかば謗ぜずして初住不退・乃至妙覚にのぼりぬべしと知見しましましき、末代濁世には当機にして初住の位に入るべき人は万に一人もありがたかるべし、又能化の人も仏にあらざれば機をかがみん事もこれかたし、されば逆縁・順縁のために先ず法華経を説くべしと仏ゆるし給へり、但し又滅後なりとも当機衆になりぬべきものには先ず権教をとく事もあるべし、又悲を先とする人は先ず権経をとく釈迦仏のごとし慈を先とする人は先ず実経をとくべし不軽菩薩のごとし、又末代の凡夫はなにとなくとも悪道を免れんことはかたかるべし同じく悪道に堕るならば法華経を謗ぜさせて堕すならば世間の罪をもて堕ちたるには・にるべからず、聞法生謗・堕於地獄・勝於供養・恒沙仏者等の文のごとし、此の文の心は法華経をばうじて地獄に堕ちたるは釈迦仏・阿弥陀仏等の恒河沙の仏を供養し帰依渇仰する功徳には百千万倍すぎたりととかれた