[13870] 題名:顕謗法抄(再掲)
名前:FT
◇S3OiZExQd2
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投稿日:
2025/09/20(土) 06:25
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第三に問答料簡を、明さば問うて云く五逆罪と謗法罪との軽重はしんぬ謗法の相貌如何、答えて云く天台智者大師の梵網経の疏に云く謗とは背くなり時と云云、法に背くが謗法にてはあるか天親の仏性論に云く若し憎むは背くなり等と云云、この文の心は正法を人に捨てさせるが謗法にてあるなり、問うて云く委細に相貘をしらんとをもうあらあら・しめすべし、答えて云く涅槃経第五に云く「若し人有りて如来は無常なりと言わん如何ぞ是の人舌堕落せざらん」等云云、此の文の心は仏を無常といはん人は舌堕落すべしと云云、問うて云く諸の小乗経に仏を説かるる上又所化の衆皆無常と談じき、若し爾らば仏・並に所化の衆の舌堕落すべしや、答えて云く小乗経の仏を、小乗経の人が無常ととき談ずるは舌ただれざるか、大乗経に向つて仏を無常と談じ小乗経に対して大乗経を破するが舌は堕落するか、此れをもつて・をもうにをのれが依経には随えども依経より・すぐれたる経を破するは破法となるか、若爾らば設い観経・華厳経等の権大乗経の人人・所以の経の文の如く修行すともかの経にすぐれたる経経に随はず又すぐれざる由を談ぜば謗法となるべきか、されば観経等の経の如く法をえたりとも観経等を破せる経の出来したらん時・其の経に随わずば破法となるべきか、小乗経を以て・なぞらえて心うべし」
(通解) 第三段として問答形式で料簡を明かす。 問うていう。 五逆罪と謗法罪との罪の軽重はわかった。謗法の具体的な内容はどうか。 答えていう。 天台智者大師の梵網経の疏にこうある。 「謗とは背くことである」 法に背くことが謗法といえるだろう。 天親の仏性論にこうある。 「憎むとは背くことである」 この文の心は、正法を人に捨てさせることが謗法ということである。 問うていう。 詳しく謗法の内容を知りたいので、大略を示してほしい。 答えていう。 涅槃経第五にこうある。 「もし人がいて、如来は無常だと言ったとする。どうしてこの人の舌が堕落しないわけがあろうか」 この文の心は、仏を無常と言う人は舌がただれて落ちてしまうということである。 問うていう。 多くの小乗経に仏を無常と説いているうえ、また所化の人々も皆無常と談じている。もしそうであるなら、仏並びに所化の衆の舌ただれて落ちてしまうのか。 答えていう。 小乗経の仏を小乗経の人が無常と説き談じるときは舌はただれないだろう。しかし、大乗経に向って仏を無常と談じ、小乗経に対して大乗経を破折すれば舌はただれて落ちてしまうだろう。このことから考えると、自分の依経には随っても、依経より勝れている経を破折することは破法となる。したがって、たとえ観経・華厳経等の権大乗経の人々が、所依の経の文のように修行したとしても、かの経より勝れた経々に随わなかったり、また勝れていないなどと談じたならば謗法となるだろう。ゆえに観経等の経のように法を会得したとしても、観経等を破折する経が出来した時、その経に随わなければ破法となるだろう。このことは小乗経をもって、なぞらえて心得るべきである。