宿坊の掲示板
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[13792]

題名:南京大虐殺をまだ信じている方へ

名前:霞ヶ関リークス

◇5WBnmh.AZo
MAIL 投稿日: 2025/09/08(月) 20:56 2001:ac8:88:9001:c82c:38f7:ee57:8250(IPv6:) (2001:ac8:88:9001:c82c:38f7:ee57:8250)

戦後の一時期、欧州および米国の議会で南京大虐殺事件が問題となり、日本に
対する批判が集中していたことがあります。しかし、あるときそうした声が突
然収束しました。「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が監修した「南
京の実相」という本(監修者 中山成彬、西川京子、戸井田とおる、阿羅健一、
水間政憲  編集者 水間政憲)が出版され、各国の議会、議員一人一人に送
付されたからです。「南京の実相」は英文と日本文とで書かれ、南京大虐殺事
件の研究書としては最高級の内容です。以後、欧米の議会、日本の国会で南京
大虐殺事件が問題視されることはなくなりました。

内容を一部、抜粋します。

100th Sessionof the council Six meeting (2/11/1938)

League of Nations -official Lournal February 1938

SIXTH MEETING (PRIVATE, THEN PUBLIC)

Held on Wednesday, Feburuary 2nd, 1938 at 12 noon

「国際連盟 理事会第100回会期 議事録」

第6回会合(非公開会議、ついで公開会議)

1938年2月2日水曜日正午開催

議長:M.Adle






読みにくいので、重要な赤線部分を再掲します。内容は、顧維鈞中華民国代表
が、国際連盟で日本批判の決議を求めたときの演説です。当時、日本は国際連
盟から脱退しており、国際連盟に対しては何らの発言権も喪失していた時期の
ことです

Another authentic account of the atrocities prepetrated by Japanese so
lidiers at Nanking and Hangchow, based on the reports and letters of A
merican professors and missionaries, is to be found in the Daily Teleg
raph and Morning Post of January 28th, 1938. The number of Chinese civ
ilians slaughtered at Nanking by Japanese was estimated at 20,000, whi
le thousands of women, including young girls, were outraged. The Ameri
can Chairman of the Emergency Committee of Nanking University,writing
to the Japanese Embassy on December 14th, 1937, stated in part: “We u
rge you, for the sake of the reputation of the Japanese Army and Empir
e, and for the sake of your own wives, daughters and sisters, to prote
ct the families of Nanking from the violence of your soldiers". The co
rrespondent added that “in spite of this appeal, the atrocities conti
nued unchecked".

日本軍が南京と杭州で犯した残虐行為につき、アメリカの大学教授や宣教師達
の報告に基づいた信頼のおける記事がもうひとつ、1938年1月28日付け
のデイリーテレグラフ紙と、モーニングポスト紙にも掲載されています。日本
軍が南京で虐殺した中国市民の数は20,000人と推定され、また若い娘を
含む何千という女性が陵辱されました。南京大学緊急事態委員会のアメリカ人
議長が、1937年12月14日に日本大使館にあてた書状には、「われわれ
は、日本帝国陸軍および大日本帝国の名声のために、貴国の妻、娘姉妹のため
に、南京の家族を日本の若い兵士の暴行から守るように促す」とも書いてあり
ます。特派員は「この訴えにもかかわらず、残虐行為が制止されることもなく
続いている」と報じています。



戦前の日本は、国際連盟を脱退後もその動きは引き続き注視していました。中
華民国が国際連盟で日本批判の決議を求めたという情報は、日本外務省は直ち
にキャッチしていました。そのときの外務省の機密文書です。現在では完全に
公開されています。重要部分を再掲します

機密

條三機密合第230號

昭和十三年二月十八日

外務大臣 廣田 弘毅

在北京 秋山書記官

在上海 岡本総領事

在滿  植田大使

第百囘國際聯盟理事會ニ於ケル日支問題討議ノ經緯ニ關スル調書二部爰ニ送付


二、 四國會談ニ於ケル決議案作成事情

當初英佛等ハ今囘理亊會ニ於テ進ミタル決議ヲ爲ス意嚮ヲ有セザリシ様子ナル
ガ壽府ニ於テ顧維鈞ノ要求ニ依リ、英佛蘇支ノ四國會談トナルヤ顧ガ第一ニ提
出シタル對日制裁ノ點ハ英佛ノ拒絶ニ依リ問題ト爲ラザリシモ顧ハ武器供給及
財政的ノ對支援助強化ヲ強力要求シ蘇聯之ヲ支持シテ共同的援助ヲ主張シタリ。
従テ英佛ハ従來ノ個別的援助ノ方針ヲ主張セルニ拘ラズ二十八日夜ニ至リ一應
総會決議ヨリモ幾分進ミタル趣旨ノ決議案ヲ作リ夫々本國ニ請訓スルト共ニ米
國側ニ通報ノ措置ヲモ執ルコトト爲リタルモノノ如シ。

其ノ際對支援助口約説、米國側トノ協議説其ノ他ノ流言流布セラレタル爲右四
國ガ何亊カ對日策謀ヲ爲シツツアルモノノ如ク憶測

四 決議ノ採擇

理亊會ハ前期非公開會議ニ引續キ一時ヨリノ公開會議ニ於テ顧維鈞ノ演説後波
蘭、秘露ノ棄権ヲ除ク全會一致ヲ以テ支那問題ニ關スル決議ヲ採擇シタリ。

(一)劈頭顧維鈞ハ日本ノ侵略ノ亊實日本軍ノ暴行、第三國ノ権益侵害等ヲ述
ベ聯盟ノ行動ヲ要求スル趣旨ノ演説ヲ爲セリ。

五 理亊會決議全文

理亊會決議ノ全文左ノ如シ。

「理亊會ハ

極東ニ於ケル亊態ヲ考察シタル後

理亊會ノ前囘會合以來支那ニ於テ戰鬪行爲ガ継續セラレ且激化セラレツツアル
ヲ遺憾トシ

支那國民政府ニ依リ國家ノ政治的及經濟的再建ノ爲成就セラレタル努力竝ニ獲
得セラレタル結果ニ鑑ミ前記亊態ノ惡化ヲ特ニ慨嘆シ聯盟總會ガ千九百三十七
年十月六日ノ決議ニ依リ支那ニ對シ精神的支持ヲ約シ且國際聯盟ノ聯盟國ニ對
シ支那ノ抵抗力ヲ弱メ依テ現在ノ紛爭ニ於ケル其ノ困難ヲ增大セシムル性質ノ
一切ノ行動ヲ差控フベキコトヲ勧奨シ竝ニ各個ニ於テ支那ニ對シテ援助ヲ爲シ
得ル程度ヲ檢討スベキコトヲ勧奨シタルコトヲ想起シ

聯盟諸國ニ對シ前記決議ノ條項ニ付最モ眞卒ナル注意ヲ喚起シ

聯盟理亊國中極東ニ於ケル其ノ地位ニ依リ特殊ノ利害關係ヲ有スル諸國ニ對シ、
同様ニ利害關係ヲ有スル其ノ他ノ列強ト協議シテ紛爭ノ公正ナル解決ニ寄與ス
ベキ他ノ適切ナル手段ノ可能性ヲ検討スベキ一切ノ機會ヲ逸セザランコトヲ期
待ス」

文中 壽府:ジュネーブ  蘇:ソ連  蘇聯:ソ連    波蘭:ポーランド      
秘露:ペルー



平成十九年二月二十一日 衆議院内閣委員会で南京問題について戸井田徹衆議
院議員が井原政府参考人と議論をしています。

二〇〇七年二月二十一日 衆議院内閣委員会議事録

質問者 戸井田徹 衆議院議員

答弁者 井原政府参考人

●戸井田委員

・・・・。一九三八年の二月二日、国際連盟理事会第百会期第六会議、支那問
題に関する決議が採択されているんですけれども、中国代表が採択に当たっ
て行ったとされる南京攻略戦での日本軍非難演説の内容は、決議文に取り入
れられていないと承知しておりますけれども、いかがでしょうか。

●井原政府参考人

・・・・。同決議の採択に当たり、中国代表の顧維鈞という人物が、日本の侵
略の事実、旧日本軍の暴行、第三国に対する権益侵害等を述べた上で、連盟
の行動を要求する趣旨の演説を行い、その中で、中国の代表は、第三国の新
聞記事等を引用する形で、南京における旧日本軍兵士による殺害や略奪行為
について言及したというふうに承知しております。

一方、決議においては、南京事件について明示的な言及はございません。中国
における戦闘行為の継続、激化に遺憾の意が示されるとともに、極東に直接の
利害関係を有する諸国間において紛争を解決する機会につき検討することを期
待するといったようなことが、その決議の中では表明されているというふうに
承知しております。

●戸井田委員

今言われたように、国際連盟の理事会は、中国の一方的な政治宣伝との認識を
持っていたことにほかならないと思うんですね。それだけの演説をしながら、
しかし、それは、今言われているような数の、三十万人の虐殺と二万人の暴行
が、その当時、中国の代表が二万人と数千ということを言っているわけです。
だけれども、それでも理事会はその中国の演説に対して動かずにいたというこ
と。これはどういうことなのか、どういう意味を持っているのかということを
考えたら、まさに国際連盟は、相手にしていなかったということなんだろうと
思うんですね。

・・・・資料四を見ていただきたいんですけれども、一九八四年に、南京問題
一筋に研究している阿羅健一さんが、南京攻略戦に従軍した外国新聞社の記
事を調査したものがあるわけであります。今一般に言われているようなこと
など、当時、第三国の新聞記事には載っていない。ニューヨーク・タイムズ
とかロンドン・タイムズだとか、そういう海外の特派員が当時、南京にいた
わけですよね。しかし、本国に送った記事の中に、三十万の虐殺であるとか、
二万人のレイプだとか、そんなものは出ていないわけであります。

・・・・。

詳細は「南京の実相」を読んでみてください。すべて原本が現存する一次資料
が掲載されています。南京では、当時の国際法に反するような、あるいは人道
に反するような大量虐殺も捕虜虐待もなかったことが分かります。中華民国代
表は捕虜虐待について演説で触れており、それを踏まえて国連決議は捕虜虐待
事象に沈黙しているということは、捕虜虐待もなかったことを、当時の最高位
の国際機関が認定したということを意味します。南京には各国政府が大使館・
領事館を置いていましたから、何かあれば領事館から通報があったはずです。
領事館の設置が許されない現代中国のウィグルでの人権侵害とは異なります。

大虐殺があったと主張する中華民国に対し、国際連盟の決議の中には、極東と
いう言葉が出てきますが、日本という言葉は出てきません。まして南京などの
言葉もでてきません。決議は、可哀想な支那を精神的に支援することを検討し
ませんかという内容になっています。

南京には大量の外国特派員が派遣されていましたから、そこで大虐殺があった
という国連で打ち上げたプロパガンダは失敗し、ソ連でさえ、どこの国も信用
しなかったというわけです。





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