[13407] 題名:先生指導(抜粋)です。
名前:末端信者
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投稿日:
2025/07/15(火) 19:04
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大事なことは、日寛上人が仰せのように、
題目には「信の題目」と「行の題目」があることだ。
同じように題目を唱えていても — 唱えるのは「行の題目」に当たる、
御本尊の功徳を「確信」しているかどうかで、結果は変わってくる。
この「信の題目」が大切なのです。
「豈 冥の照覧 恥かしからざらんや
地獄の苦み 恐るべし恐るべし 慎むべし慎むべし」
仏菩薩が 御照覧になっているのに、
どうして恥ずかしくないことがあろうか。
地獄の苦しみを、恐るべきである。恐るべきである。
慎むべきである。慎むべきであると。