[13389] 題名:先生指導(抜粋)です。
名前:末端信者
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投稿日:
2025/07/13(日) 17:00
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仏教にはもともと、権力を使って信仰を押し付けようという発想はない。
アショーカ大王も自身は熱心な仏教徒であったが、
全宗教への寛容に徹しています。
日蓮大聖人は、佐渡流罪から戻られた時、
寺を寄進しょうという 幕府の申し出を断ったと伝えられている。
幕府に保護してもらおうなどという発想は、
微塵ももっておられなかったのでしょう。
学会は民衆の集まりです。民衆が愚弄されないために戦っている。
すべての民衆が「強く」「賢明」になるために、
平和と文化のネットワークを広げ、教育に力を注いでいます。
民衆が本来持っている強さ、賢さ、明るさ、あたたかさ。
そうした可能性を引き出す 原動力になるのが信仰なのです。
愚かになるために信仰するのではない。賢明になるためにこそ信仰はある。
賢さとは、人を不幸にするような知識ではなく、
自他ともに向上するための智慧です。
今の社会の狂いは、全人格的な「智慧」と「知識」とを混同し、
全人格的な「信仰」と「盲信」との見わけが
つかないところから起こっていると言える。