[13328] 題名:立正安国論
名前:FT
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投稿日:
2025/07/04(金) 07:20
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布施を止めよ!!
本文(二七㌻一三行~二八㌻三行)
又云(いわ)く「我往昔(むかし)を念(おも)うに、閻浮提(えんぶだい)に於て大国の王と作(な)れり。名を仙予(せんよ)と曰(い)いき。大乗経典を愛念(あいねん)し、敬重(きょうじゅう)し、其の心純善(じゅんぜん)にして、麁悪(そあく)嫉悋(しつりん)有ること無し。善男子(ぜんなんし)、我爾(そ)の時に於て、心に大乗を重んず。婆羅門(ばらもん)の方等(ほうどう)を誹謗するを聞き、聞き已(おわ)つて即時に其の命根(みょうこん)を断ず。善男子、是の因縁を以て是(これ)より已来地獄に堕(だ)せず」と。又云く「如来、昔国王と為(なっ)て菩薩の道(どう)を行ぜし時、爾所(そこばく)の婆羅門の命(いのち)を断絶す」と。
又云く「殺(せつ)に三有り、謂(いわ)く下(げ)・中(ちゅう)・上(じょう)なり。下とは蟻子(ぎし)乃至一切の畜生なり。唯(ただ)菩薩の示現生(じげんしょう)の者を除く。下殺(げせつ)の因縁を以て地獄・畜生・餓鬼に堕(だ)して、具(つぶさ)に下の苦を受く。何を以ての故に。是(こ)の諸(もろもろ)の畜生に微(わずか)の善根有り。是の故に殺す者は具(つぶさ)に罪報を受く。中殺(ちゅうせつ)とは凡夫の人より阿那含(あなごん)に至るまで、是(これ)を名づけて中と為(な)す。是の業因(ごういん)を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具(つぶさ)に中(ちゅう)の苦を受く。上殺(じょうせつ)とは父母乃至阿羅漢(あらかん)・辟支仏(びゃくしぶつ)・畢定(ひつじょう)の菩薩なり。阿鼻大地獄の中に堕す。善男子、若(も)し能(よ)く一闡提(いっせんだい)を殺すこと有らん者は、則(すなわ)ち此の三種の殺(せつ)の中に堕せず。善男子、彼の諸(もろもろ)の婆羅門等は、一切皆是れ一闡提なり」已上。
謗法の者を対治せよとおおせられる裏づけとして、謗法者をたとえ殺しても仏法上の罪は受けないことを涅槃経の文を引いて、証明されるのである。謗法の流す害毒がどれほど大きいかをしめされているのである。
およそ、この経文は、仏法を温かい慈愛の教えぐらいにしか考えていない現代人にとっては、驚天動地の説法であろう。「これが、あのお釈迦さまのいったことだろうか」と耳を疑う人もいるかもしれない。そのような人は、まず、自己がこれまでもっていた仏法観が、まったく皮相的であったことを知るべきである。そして、仏のもつ深遠な哲理、力強い指導性を、心を謙虚にして求めるべきである。
すでに、多くの経文を引いて、繰り返し論じられてきたように、三災七難の根本原因は、この社会に、邪法、邪義がひろまっていることにある。飢饉、疫病、戦乱、水害、旱害、冷害等々の天災や人災によって、死んでいった人びとの数は、測り知ることすらできない。
すなわち、これらの人命を奪い、民族の生命力を衰えさせ、国土を荒廃させた張本人こそ、謗法、一闡提(いっせんだい)の僧たちなのである。しからば、一闡提を対冶することこそ、人びとが安心して生活していける社会にしていく根本であり、この道理から、謗法の命を断ぜよとおおせられるのは当然といえるのである。
法蓮抄には、この立正安国論の要点を、自ら次のように示されている。
「彼の状に云く取詮、此の大瑞は他国より此の国をほろぼすべき先兆なり。禅宗・念仏宗等が法華経を失う故なり。彼の法師原(ほうしばら)が頚(くび)をきりて鎌倉ゆゐ(由比)の浜にすてずば国正に亡ぶべし等云云」(一〇五三㌻)
また撰時抄にいわく、
「去(い)にし文永八年九月十二日申(さる)の時に、平左衛門尉(へいのさえもんのじょう)に向つて云く、日蓮は日本国の棟梁なり。予を失うは日本国の柱橦(はしら)を倒すなり。只今に自界反逆難とてどしうち(同士打)して、他国侵逼難とて此の国の人人・他国に打ち殺さるのみならず、多くいけどりにせらるべし。建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばや(焼)きはらいて、彼等が頸(くび)をゆひ(由比)のはま(浜)にて切らずば、日本国必ずほろぶべしと申し候い了(おわ)んぬ」(二八七㌻)
上の御文に拝されるように、日蓮大聖人ご自身も、涅槃経の文によって「邪宗の者どもの頸を切れ」と叫ばれたのである。しかし、これひとえに謗法を憎むがゆえであって、実際に人殺しを承認されたものではない。無明におおわれた謗法の心を断ち切り、謗法の行為を殺せとの意なのである。仏の慈悲は、母の慈愛ではない。父の厳愛に譬えられる。一切衆生を慈愛するからこそ、悪に対して厳格なのである。ゆえに、この後の文で「釈迦の以前の仏教は、其の罪を斬ると雖(いえど)も、能忍(のうにん)の以後の経説は則ち其の施(せ)を止(とど)む」と述べられているのである。日寛上人は「頸を斬れ」とは対治悉檀(たいじしつだん)、「施を止めよ」は為人悉檀(いにんしつだん)に約すと教えられている。すなわち、謗法の心を断ち切り、謗法の行為を殺せとの意である。
いま、われわれが、折伏を行じて、誤った宗教や低級な思想を完膚なきまでに打ち破るのは、「頸を斬れ」とのお心に応えることになるのである。また、そうした宗教に迷わされている民衆を、正義に目覚めさせて、低級宗教から離れさせているのは「施を止む」に叶う行為といえよう。
原田学会(一闡提いっせんだい)の嘘で固めた組織活動は全て謗法です。選挙活動からあらゆる会合参加、聖教新聞啓蒙、購読、謗法の弘教、拠点活動、内部回り、書籍啓蒙等々その他も含め、そしてこれらに騙されて公明党に投票する事も!!
この原田学会の全ての活動を辞めなさい!!という大聖人の雄叫びです!!そうしなければ前回投稿した罰を受けます!!