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[13269]

題名:聖人御難事

名前:FT

◇PFZXO0GhIQ
MAIL 投稿日: 2025/06/26(木) 10:18 i60-42-31-205.s41.a022.ap.plala.or.jp (60.42.31.205)

 過去現在の末法の法華経の行者を軽賤(きょうせん)する王臣万民、始めは事なきやうにて終(つい)にほろびざるは候はず。日蓮又かくのごとし。始めはしるし(験)なきやうなれども、今二十七年が間、法華経守護の梵釈・日月・四天等さのみ守護せずば、仏前の御誓(おんちかい)むなしくて、無間大城に堕つべしとおそろしく想う間、今は各各(おのおの)はげむらむ。大田の親昌(ちかまさ)・長崎次郎兵衛の尉時綱(じょうときつな)・大進房が落馬等は、法華経の罰のあらわるるか。罰は総罰・別罰・顕(けん)罰・冥(みょう)罰四候。日本国の大疫病と大けかち(飢渇)とどしうち(同士討)と他国よりせめらるるは総ばち(罰)なり。やくびゃう(疫病)は冥罰なり。大田等は現罰なり、別ばちなり。

真理への正しい認識に立ち、それをもとにして導かれた教えは、それにそむけば生命の危険や害をまねき、それを正しく守れば利益を得、生命を充実させるという効果がある。科学が究めた真理にもとづいて、種々の技術が開発され、現代人類の物質生活を豊かにしているのは、この〝功徳〟の例である。しかし、もっと根底にある真理への無知から、この技術の乱用が害を生み、人類の生存を脅かしているのは〝罰〟の例である。
 仏法は、生命そのものの真理を究め、それにもとづいて人間的成長と幸福実現の法を打ち立てたものである。したがって、これにそむけば、生命活動の上に害をこうむり、これを正しくふまえて実践すれば限りない価値を生み出すことができる。
「法華経の罰」とは、この原理によるのであって、超越的な、意志をもった神のような存在があって、それが法華経に従う人に利益を与え、背く人に罰を与えているというのではない。功徳・罰というと、とかく誤解されがちであるが、この本質は、正しく理解されなければならない。
 次に、総罰・別罰・顕罰・冥罰の区別についていえば、社会全体が仏法に背いていることによって社会全体が不幸を招くのが総罰である。それは、社会というものが一つの統一的な原理によって成っており、その原理が間違っていれば、社会の中の成員は、個人意志にかかわりなく、それによる結果をこうむるのである。これに対して、個人的な仏法への違背行為から、その個人が受けるのが〝別罰〟である。したがって、総罰と別罰の二つは、個と全体の関係にあるといえる。
 それに対して、顕罰ないし現罰と、冥罰という立て分けは、少しむずかしくなる。冥罰とははっきり形にあらわれないということであるが、たとえば、今は、例として疫病をあげられているように、それ自体は、はっきりした形をもっている。では、どこが〝冥〟かというと、仏法に背いたという原因と、疫病という結果との間のつながりが、凡人の眼には不明瞭であるということである。
 つまり、冥罰とは、生命の法である仏法に背くことにより、その生命活動のリズムに狂いや衰弱を生じ、それが病気等の結果としてあらわれてくる故に〝冥罰〟という。仏法に背いたことが直接的にもたらすのは、生命そのものの異変で、病気は、その生命の異変の結果として出てくる。したがって、必ずしも病気という結果になるとは限らないのであって、生命力の衰弱したところに、たまたま病原菌が侵入したから、病気になったともいえる。もし別の動機が働いていれば、別の結果を生じたであろう。
 これが〝冥罰〟であるが、このことからも分かるように、冥罰こそ法華経の罰の本質的なケースであって、むしろ顕罰の方が例外的なのである。逆に、利益・功徳についていうと〝冥益〟こそ法華経の功徳の本質的なもので、顕益は例外的なケースになるのである。そして、この場合は、仏法の信仰によって生命のリズムがととのい、力が豊かになるのであるが、その生命の力をどのように活用するかは、その人の生活上、社会的分野での努力にかかっていることを知らなければならない。
まさに原田学会と公明党が衰退していく様は、冥罰そのものである。




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