[13238] 題名:秋元御書
名前:FT
◇S3OiZExQd2
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投稿日:
2025/06/20(金) 06:45
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謗国と申すは謗法の者・其の国に住すれば其の一国皆無間大城になるなり、大海へは一切の水集り其の国は一切の禍集まる、譬えば山に草木の滋きが如し、三災月月に重なり七難日日に来る、飢渇発れば其の国餓鬼道と変じ疫病重なれば其の国地獄道となる軍起れば其の国修羅道と変ず、父母・兄弟・姉妹をば簡ず妻とし夫と憑めば其の国畜生道となる、死して三悪道に堕つるにはあらず現身に其の国四悪道と変ずるなり、此れを謗国と申す。 例せば大荘厳仏の末法・師子音王仏の濁世の人人の如し、又報恩経に説かれて候が如くんば過去せる父母・兄弟姉妹・一切の人死せるを食し又生たるを食す、今日本国亦復是くの如し真言師・禅宗・持斎等・人を食する者・国中に充満せり、是偏に真言の邪法より事起れり、竜象房が人を食いしは万が一顕れたるなり、彼に習いて人の肉を或は猪鹿に交へ・或は魚鳥に切り雑へ・或はたたき加へ或はすしとして売る、食する者数を知らず皆天に捨てられ守護の善神に放されたるが故なり、結句は此の国他国より責められ自国どし打ちして此の国変じて無間地獄と成るべし、日蓮・此の大なる失を兼て見し故に与同罪の失を脱れんが為め仏の呵責を思う故に知恩・報恩の為め国の恩を報ぜんと思いて国主並に一切衆生に告げ知らしめし
謗人、謗家に続き、第三に謗国の相を示された段である。
謗国とは、謗法の国のこと。正法誹謗の者が充満している国土をいう。ゆえに依正不二の法理のうえから「其の一国皆無間大城になる」のである。
そこには、大海に一切の川の水が集まるように一切の禍が集中し、「三災月月に重なり七難日日に来る」という様相を呈するのである。
三災とは飢饉・疫癘・兵革の災いをいうが、このことを具体的に「飢渇発れば其の国餓鬼道と変じ疫病重なれば其の国地獄道となる軍起れば其の国修羅道と変ず、父母・兄弟・姉妹をば簡ず妻とし夫と憑めば其の国畜生道となる……」と述べられている。
しかも「死して」ではなく「現身に」と仰せのように、現実に飢饉、疫病、戦争などに苦しむ三悪道・四悪道となるのである。
次に謗国の先例を挙げられている大荘厳仏の末法とは、大荘厳仏の滅後に、普事比丘のみが正法を護持していた。他の苦岸比丘等の四比丘は仏の教えに背いて邪義を唱え、多くの弟子達とともに阿鼻地獄に堕ちたとされる。
曾谷二郎入道殿御返事に「彼の大荘厳仏の末の六百四万億那由佗の四衆の如き各各の業因異りと雖も師の苦岸等の四人と倶に同じく無間地獄に入りぬ」(1067:07)と仰せである。
師子音王仏の濁世とは、師子音王仏の末法に喜根比丘が現れ、諸法の実相を説いたが、勝意比丘等は喜根比丘を謗り、侮辱したため、生きながら地獄へ堕ちたとされる。
兄弟抄に「師子音王仏の末の男女等は勝意比丘と申せし持戒の僧をたのみて喜根比丘を笑うてこそ無量劫が間・地獄に堕ちつれ」(1082:14)と仰せである。
また報恩経には、濁世の相について「亡くなった父母・兄弟・姉妹をはじめ、一切の人々の死んだ肉を食い、また生きている人を殺してその肉を食う」と説かれているが、当世の日本国も同様の様相を呈しているとして、人々を悪法に導きながら、その布施によって身を肥やしている真言・禅・律等は「人を食する者」であると喝破されている。
こうした恐怖すべき世相を招来した元凶は「偏に真言の邪法より事起れり」と断定されている。そして、実際に人肉を食した竜象房は、こうした諸宗の僧達の「万が一」が露顕したにすぎないと糾弾されている。
竜象房が人を食いしは万が一顕れたるなり
竜象房とは、鎌倉時代の天台宗の僧である。生まれも生い立ちも不明で、いかなる立場の僧であったかも明らかでない。
ただ一つ明白なことは、比叡山延暦寺の堂塔内に住んでいたころ、人目を忍んでは洛中(京都市中)に下り、餓死者をあさって朝に夕に人肉を食していたことである。
これに気づいた比叡山の衆徒が竜象房の行状を厳しく追及したことが「天台座主記」の建治元年(1275)4月27日の記述にみられる。
すなわち「山門の衆徒群り下りて東光寺に集会し、公友ならびに犬神人を差し遣し、竜象上人の住房これを焼き払い、中山の住房は犬神人等これを破取す」とある。
頼基陳情にも「彼の竜象房は洛中にして人の骨肉を朝夕の食物とする由露顕せしむるの間、山門の衆徒蜂起して世末代に及びて悪鬼・国中に出現せり、山王の御力を以て対治を加えむとて住所を焼失し其の身を誅罰せむとす……」(1159:02)と述べられている。
住房を焼き払われ鎌倉に逃げ下った竜象房は真言律宗の極楽寺良観の庇護を受け、桑ヶ谷に法席を構えて説法していた。
建治3年(1277)に、日蓮大聖人の弟子・三位房日行がこれと問答し、徹底的に破折した。(この三位房はのちに退転している)竜象はこのことを恨み、日行と同行した四条金吾が「徒党を組み、武器を所持して悪口・悪行し、竜象を責めた」と、虚偽の証言を行って金吾の主君・江間氏へ訴えたのである。
このため金吾は主君の勘気を受けている。しかし建治三年(1277)9月、金吾に与えられた崇峻天皇御書には「彼等が柱とたのむ竜象すでにたうれぬ、和讒せし人も又其の病にをかされぬ」(1171:05)と述べられているところから、竜象房は疫病にかかって倒れたようである。
ともあれ、竜象房の人肉食という行為は人倫の道に背くものとして他の僧等から糾弾されたのであったが、本質的にいえば、正法誹謗の邪法を人々に教えて布施を受けている諸宗の僧は皆、人肉を食しているようなものであると指摘されて、竜象房の例は「万が一顕れたる」ことであるとされている。そして、一般世間でも飢えの世に乗じて、人肉を猪や鹿、魚鳥に混入して売る非道がまかりとおっていたのである。
したがって、それを知らずに「食する者数を知らず」という状況となっていたのである。
このような非道が横行するようになったのも、人々が法華経を誹謗しているので、国を守護すべき諸天善神が捨離したためであるとされ、そのあげくのはては他国侵逼難・自界叛逆難によって、一国が無間地獄に変ずることを憂慮されているのである。
すでに飢饉・疫病・兵革の三災は眼前にあり、大聖人はその由来の根本原因が背正帰悪という「大なる失」にあることを知悉されたゆえに、これまで「国主並に一切衆生」に対し、覚醒を促すべく謗法を呵責してきたのだと、その理由を総括して述べられている。
一に、与同罪を免がれんがため、
二に、仏の呵責を重視するため、
三に、国恩に報いるため、
とされている。
与同罪とは、同じ罪をともに受けることである。与とは共にすること、一般にいう共犯・共同責任にあたる。
すなわち、謗法を黙認して呵責しなければ、結果としては、同意し与したことになるから、謗法の者と同じ罪を受けることになるのである。
「仏の呵責を思う故に」とは、先にも触れた「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駆遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり」という涅槃経の文をいわれている。
大聖人は曾谷殿御返事で「此の文の中に見壊法者の見と置不呵責の置とを能く能く心腑に染む可きなり」(1056:06)と仰せである。
「見」とは単に「見る」というだけでなく「聞く」ことも含めた認識することを意味する。また「置」とは、放置する、見てみぬふりをするという意味である。
したがって「見」と「置」とを心腑に染めよとは、「法を壊る者」を見聞きしながら、それを破折しないで放置するならば、その人自身「仏法の中の怨」つまり仏の敵となってしまうという意である。また与同罪となるから心していきなさいとの御注意でもある。
「知恩・報恩の為め国の恩を報ぜん」とは、恩は深く人間性に根差したものであり、仏法上では更に父母・師匠・国主・三宝の四恩など広範囲にわたって論及している。大聖人は本抄では国の恩に報いるため、謗国となっている日本を救わんとしているのであると仰せである。
ここでいう正法誹謗の者とは現代で言えば、大石寺の身延をはじめとした邪宗を破折しない謗法行為に対してその権力に慄いて破折せず大聖人を裏切り師匠を裏切った原田学会にあたり、人々を悪法に導きながら、その布施によって身を肥やしている。
そしてこれらを含めた全ての邪宗、邪義、邪教の事だ。これらの正法誹謗の者達が人肉を食うと言う事はもっとわかりやすく言えば人の命を奪い、功徳を奪うという事だ。
そしてこれによって起こる結果(罰)である三災七難はわかりやすく言えば、殺人をはじめとしたあらゆる犯罪、発覚していないものも含めあらゆる事件、事故。そして私利私欲で生きている政治家をはじめとしたあらゆる人間どうしの争い。あらゆる天候不順。自然災害、人害による災害、他国の影響による経済不振等、数え上げたらきりがない、全ての不幸にあたる。