[13173] 題名:スットコドッコイ!
名前:呑み助
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投稿日:
2025/06/08(日) 15:34
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―やっぱりおかしい『教学要綱』 その 5―
◆「僧宝」改変の目的は、教団信仰(組織信仰)による組織の絶対化!
かつて日顕は、法主は現代の「僧宝」であるとして、法主の立場を絶対化した。法主に人望や求心力
が無く、大衆から指示されなくなると必ず出てくるのがこの法主絶対論だ。
人間力で従わせられない分、化儀で人を服従させようというのである。
現在創価学会も同じことをしている。
池田先生という偉大な指導者を失った創価学会が、その求心力を失い、会員の組織離れが起きることは充分予想された。
かと言って先生を受け継ぐリーダーシップを持った幹部は見当たらない。
人力では保てないとの判断から生まれるのが、「会長」の絶対化であり、「組織」の絶対化である。
まずは「会憲」の制定で日本のみならず、SGI における日本の「会長」の立場を絶対化した(これは会憲の内容を熟読すればすぐに分かることだ)。
この会憲制定に伴っては、SGI 各国の理事長から個別に「誓約書」まで取っている。
SGI に対する日本の支配体制を確立したのだ。
続いて「創価学会仏」なるものを強調して組織の絶対性を会員に刷り込み、ついに今回、「教学要綱」にて「創価学会」を「僧宝」とすることでそれを完成させた。
「僧宝」とは帰依の対象である。
要するに会長が無能だろうと執行部が阿呆だろうと、組織は「僧宝」であり絶対だから「ともかく黙って組織に従え」
というのである。
日顕と全く同じ手口ではないか。
しかし、「創価学会」というのは組織の代名詞で実体では無い。
実態は「会員の集まり」である。
そうなると創価学会に入会さえすれば、その人はその日から「僧宝」だということだ。
帰依の対象だ。
何とも安易な「僧宝」が出来上がったものである。
冗談の笑い話では無い。
この「僧宝」改定の裏に、執行部幹部たちの小賢しい「保身」を見抜ける人は何人いるだろうか。
(つづく)