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・・・ですから、
弘安2年10月12日に顕した あの御本尊が偽物と言うのなら
誰が?あの御本尊を顕したのでしょうか?
また、明治以前の僧侶等が顕したとするならば
何故? あの御本尊だけ太陰暦及び60干支の日付がないのか?
ちなみに江戸時代までは60干支及び太陰暦と太陽暦を計算しながら
生活をするのが当たり前で、癖として顕す筈なのですが・・・
それが、あの御本尊にはなく
従って、偽物を作った・・・とすれば明治以降になりますが
明治以降に作ったと言う話があるのは、宿坊2のサム氏が述べていた
あるいは2ちゃんでも論争になったあの1件だけですよ
それも、創価学会絡みの奴
あんたも2ちゃんにいて、あのスレッドが
まだ有効だったころの出来事だったから、覚えているだろ?
例の日達上人が述べていた寸法の食い違いなどから
正信会の坊さんが述べていた告発めいた内容で
要は正本堂建立の時にすり替えられた・・と言うアレだよアレ
あの時 いろいろ判明したこともあったけれど
法華講の人が、その事で、かなり反発喰らって大変だったんだから・・・
だけど その1件だけだし
以前の宿坊2のやり取りでもサム氏いわく、まだ創価学会が
日蓮正宗の信徒として扱われていたころに
大石寺に行ったとき 確か、正本堂建立前と後で
御本尊が違ってたみたいな趣旨で本人が述べていた事から
だから、2ちゃんでは、その事件と当時問題になった
模刻御本尊事件と時期もあっていたことなどから
「すり替えられた可能性があるんじゃないのか?」
・・と書いたら・・・
・・・と言う事で、結局は、すり替えられた可能性
あくまでも可能性がある一件だけで、それだけで贋作とは言えないでしょ?
第一、贋作作るにしても、対告に至っても
諸天の配置含めて精巧すぎませんか?