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幸福の追求者様、同感です。池田先生は牧口先生の指導を踏まえた上で科学者と対談されてます。
池田先生とログノフ対談
池田 「慈悲」は仏法の根本精神です。人々の苦しみを抜き、楽しみを与えゆく「行動」のなかに脈打つものです。
それこそ、個人においては、人間完成への実践方軌であり、また平和への確かなる道になると思います。
―― 池田先生とカー博士との語らいでは、「宗教観」も話題になり、博士は「自分は宇宙で仏法の勉強をしていたようなものです」と言われていたそうですね。
池田 ええ。それというのも博士は、青年時代、神は天から地球にいる自分たちを見守っているようなものととらえていた。しかし、実際に宇宙へ行って、その考え方が大きく転換したというのです。
ログノフ なるほど。かつてガガーリンも、一生懸命あたりを見回したけれど、「天には神はいなかった」と言っていました。
池田 カー博士は、宇宙には厳然とした「秩序」があるということを知った。いろいろなことが宇宙では起きているが、その運行は、秩序正しく行われている。その“秩序”こそ、人類が普遍的に共有しうるものであると感じたというのです。
ログノフ ほう。「秩序」ですか。
池田 仏法では、「宇宙」と「生命」に脈動する不可思議なる「秩序」を「法(ダルマ)」と説いています。
カー博士は、まさに無限の時空を創りゆく、「大宇宙の法則」があることを、直観したといえるかもしれません。
―― アポロ九号で地球を百五十一周したラッセル・L・シュワイカート氏がおもしろいことを言っています。
「単に宇宙に行ったからといって、それが意識の変化を生み出すわけではない。宇宙に上がっても、あなたは依然としてあなたなのである」(河合隼雄・吉福伸逸共編『宇宙意識への接近』春秋社)と。つまり、開かれた人間でなければ、宇宙に行っても変わらないというのです。
池田 そのとおりでしょう。反対に、たとえ宇宙空間に出なくても、人間の大いなる意識の変革は可能なはずです。
青年時代に愛読したホイットマンの詩集『草の葉』の中に、忘れえぬ一節があります。
目に見える世界、光の世界は、わたしにとって確かに壮大――空も星も壮大、大地も壮大、永続する時間と空間も壮大、
(中略)
しかしずっと遙かに壮大なのは目に見えぬわたしの魂、それらすべてのものを内に含み、賦与する者、
(中略)
遙かに進化し、広大で、難解な、おおわたしの魂よ、
ずっと遙かに多様な形をそなえ――時間や空間よりも遙かに永続するあなたよ。
(「目に見える世界は確かに壮大」『草の葉』酒本雅之訳、岩波文庫)
人はこのように壮大な心でありたいと、だれもが願うのではないでしょうか。
もう四十五年も前ですが、私はこの信仰を始めて間もないころ、「所詮しょせん万法は己心に収まりて一塵もか闕けず九山・八海も我が身に備わりて日月・衆星も己心にあり」という日蓮大聖人の御文を読んだとき、目の前が開けるような思いでした。この仏法の深遠な法理をもっと知りたい、学びたいと、強く思ったのを今でも覚えております。
ログノフ 人間の心こそ、宇宙よりも広いものであるとの思想は、大きな転換期を迎えているわが国にとっても、これから、より注目されていくと思います。