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戦後の首里城が形成したファンタジーの1つに、世界遺産への指定がある。首
里城は2000年11月30日、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の1つとし
て、ほかの遺構群とともに登録された。
詳述すると、首里城全体ではなく、地下にある正殿基壇の遺構のみがユネスコ
指定の世界文化遺産に指定された。
ところが、地元2紙の1つ「沖縄タイムス」は、あたかも首里城「全体」が、
しかも「単体」で世界遺産に指定されたかのような紙面を作成し、印象操作を行った。
新聞社による印象操作については、2016年2月、「米沢市上杉博物館」(
山形県米沢市)で開催された「上杉家の古写真展」の記事も同様。同写真展の
メインテーマは、第2代沖縄県令として勤務した元米沢藩主・上杉茂憲の関連
資料、とくに日誌等の公開展示であった(沖縄在任は1881~83年)。
上杉の日誌には、旧琉球王府徴税役人がいかに過酷で理不尽な横領をしていた
かが強調されている。
ちなみに廃藩置県執行の際、中国政府の干渉もあったことから旧慣体制を一時、
存続させた(旧慣温存体制)。
1879年の資料には、廃藩置県直後の沖縄の農民が未だ農奴であったことが
記されている。それだけではない。上杉は、旧幕府派、奥羽列藩同盟の一員で
あった米沢藩出身である。
沖縄農民解放のために政府に早急な改革を訴えたが聞き入れられず、かえって
罷免されたという史実も紹介されていた。
ところが地元紙「琉球新報」は、3日間にわたり紙面1ページを使用してこの
展示会をわずかに紹介したものの、旧慣体制については全く触れなかった。
万一これに言及すれば、「首里城の慶事には農民代表が招かれた」と聞かされ
ている沖縄県民の王国ファンタジーは吹っ飛んでしまうからだ。
驚くべきことに、同紙は上杉が在任中に撮影したとされる写真(廃墟に近い小
屋)を引用して「琉球王国の栄華を伝える」という趣旨の印象操作さえ行って
いたのである。
以来、県民は史実から遊離した王国ファンタジーを抱き続けている。端的に言
えば、「琉球王国は豊かな独立国であったが廃藩置県で日本に武力併合された」
というものである。
実際は中国帰化人にハッキングされた強権国家であり、民衆は家畜とともに生
活し重税に喘あえいでいたにもかかわらずだ。
沖縄学の嚆矢・伊波普猷は「民衆にとって廃藩置県は奴隷制からの解放であっ
た」と断言している。