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またもや(左翼 政治評論家・本澤二郎氏)ですか?
昭和43年に成人式を迎える人たちに琉球新報がアンケート調査をし、沖縄戦
で戦死したひめゆり部隊、鉄血勤皇隊についてどう思うかというアンケートを
調査したら、「任務に忠実であった」という肯定的なものが過半数を占めてい
たのです。
そのときに左翼教育副委員長 福地が怒って、「これは今から教育を見直さな
ければいけない」ということで、極端な極左教育を始めた。
元祖の左翼教育副委員長 福地は、沖縄を中国に売りました。 沖縄県史にも関
与しています。
彼は復帰の年の1月に北京に招待されて、ペテン師の周恩来から表彰されましたから。
「福地さん、ありがとう。あなたのおかげで日本が復帰して、非核三原則が適
用されて、沖縄にある核は全部撤去されます。ありがとう」と言われた。
こいつは売国奴ですよ。だから許してはいけないと私は思います
★沖縄のメディアはどう報じたのか?
開南中学の学徒たちはかわいそうに、沖縄戦のときに、上陸してきた敵の戦車
に爆薬を持って体当たり攻撃をして玉砕した。
左翼教育副委員長 福地本人は北部に逃げて、米軍から指示を受けて、最初の
沖縄県知事に就任した。
さらに許せないのは、沖縄に展開する日本軍の戦力配分状況を、米軍に内通し
ていた。
福地はスパイです。
その見返りに、戦後第1回目の知事になった。
こんな人物の銅像を作るのだから、沖縄は人を見る目がない。
ひめゆり部隊の校長であった奥原校長は、この前ひ孫さんが来たのですが、こ
の方は立派でした。
奥原校長とか県立第一中学の校長先生も、生徒と運命を共にして戦死されまし
た。2人とも県外の出身でした。
そこにひめゆり部隊の校長であった奥田校長先生のひ孫さんが来て、沖縄で慰
霊のコンサートを開いたのです。
この日本人の魂というか、ひいじいさんのために皆さんにご迷惑をかけました
と言っているのです。立派ですよね。
ですから不思議にも、このひめゆり部隊の結束は今でも固いのです。
米軍も沖縄の復興に随分力を入れていて、県外の方も随分沖縄に貢献した
方もいます。
特に医療の面では貢献したのですけれど、ただ、圧倒的な力の差があって、沖
縄というのは戦前はハンセン病、マラリア、結核などは、全国平均の20倍以
上だったのです。
ところが本土から派遣された医師団が大分協力しようとしたのだけれど、世界
トップレベルのアメリカには足元にも及ばなかった。
逆に沖縄で研修して帰るという感じだったようです。