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5月度・第53回教学研究会のご案内をお送りします。
・日時:5月10日(土)午後8時から、zoom会議室で。
・参加申込方法
①教学研究会のグループLINEのメンバーは、当日のzoom会議室の入室情報や資料等は、グループLINEで、お知らせしますので、改めての参加申込は不要です。
②初参加の方は、お手数ですが、当研究会のホームページの参加申し込みフォームから、お申し込みください。
https://kyogaku-labo.com/request
zoom会議室の入室情報や資料等を受け取るために、メールアドレスの記入が必須です。
毎回、冒頭に初参加メンバーによる簡単な自己紹介をお願いしています。よろしくお願いします。また、参加後にグループLINEにご招待しますので、ご参加をお願いします。
③なお、初参加の方やハンドルネームに変更がある方は、今回は○○○で入室します等、事前にメールやLINEでお知らせくださるよう、お願いいたします。
・式次第及び内容等。
レポーター:長崎の壮年部メンバーと波田地の2本立てです。
司会: 茨城の壮年部メンバーです。
・当日の流れ:
①司会の第一声および自己紹介
②初参加メンバーの簡単な自己紹介
➂長崎の壮年部メンバーによる体験発表
④七ツ星さんによる「スラップ訴訟」報告
⑤音声や映像を視聴しようコーナー(^_^)/
近々出る予定!? 創価学会の新経本を先取りして公開!!
――拝む対象ではない大聖人と日興上人にいつまで南無させるのか!!(怒り)
──休憩──
⑥前半講義:価値の相対主義→冷笑主義→ニヒリズム!!
三島由紀夫、岩崎武雄、池田先生そしてエマニュエル・トッドへ
ウクライナ・イギリス・アメリカ・イスラエルのニヒリズムを検証する
by波田地
──休憩──
➆後半講義:「折伏と広宣流布」――公明党の原点と今後の消滅を考える
by 波田地
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【解説】
⑤音声や映像を視聴しようコーナー(^_^)/
近々出る予定!? 創価学会の新経本を先取りして公開!!――拝む対象ではない大聖人と日興上人にいつまで南無させるのか!!(怒り)
日興上人を僧宝から削除し、大聖人までも拝む対象ではないと言い出した原田学会! それでいながら、会員はいまでも朝晩、大聖人に南無し奉り、日興上人に南無し奉りと祈念させている。教義が変わったのに、1年半も“間違った”祈念をさせ続けている無責任な執行部。教学研究会では、いまの教義ではどんな御祈念文になるか、先取りして公開する!
⑥前半講義:価値の相対主義→冷笑主義→ニヒリズム!!
三島由紀夫、岩崎武雄、池田先生そしてエマニュエル・トッドへ──ウクライナ・イギリス・アメリカ・イスラエルのニヒリズムを検証する
三島由紀夫は最期に創価学会を評してこう述べた。「私は何も信じていないが、ただ、何を信じようと各自の勝手だということはありえない。真に信ずるに足るものを信じなくてはならない。これは自明のことである。真に信ずるに足る人生の支点はいくつもあるものではない。唯一つしか存在しない。そこに選択の余地などありえない。ましてや信ずることに、寛容など入り込む余地はない。信仰者がひときわ寛容であるのは、社会的行動においてであって、信仰そのものにおいてではない。ひとは、創価学会は非寛容で、排他的というが、それが信仰の正しいあり方と思う。信仰には、唯一絶対なる実在においては、有無を言わさぬ厳格さが当然である」――いわゆる「価値の絶対主義」である。
「何を信じようと各自の勝手だ」という「価値の相対主義」について、岩崎武雄は東大の最終講義で、「くだらない思想」「唾棄すべきもの」と述べ、「ほんとうに正しい価値観を求めて探求することが何にもまして重要である」と強調した。
池田先生も、「私が恐れているのは、価値観の多元化、相対化が、異なった価値観の百花練乱のような開花、盛況をもたらすのではなく、一種のシニシズム――つまり、価値そのものへの無関心や冷笑主義的態度を生んでしまうのではないかということです。これは歴史的にしばしば見られた現象であり、現在、日本でも、欧米社会でも、すでにこうした傾向は顕著です」と警鐘を鳴らし、「グローバリズムの矛盾が露わになった荒涼たる風景の中、気のように立ちのぼっている文明の病理」として「ニヒリズム」を取り上げている。
池田先生が2010年のSGI提言で問題にしたこのニヒリズムをエマニュエル・トッド氏が、ウクライナ戦争やガザの大殺戮問題を解き明かすキー概念としてウクライナ・イギリス・アメリカ・イスラエルのニヒリズムを具体的に例証しながら適確な分析をしている。
今回は、価値の相対主義→冷笑主義→ニヒリズムへという流れを抑えたうえで、この4カ国が陥ったニヒリズムの諸症状を見ていきたい。
そして、トッド氏の「宗教の3段階」説とニヒリズム論から、いまの原田学会を分析すれば、どういう結論になるかを示したい。
➆後半講義:「折伏と広宣流布」――公明党の原点と今後の消滅を考える
山上弘道氏は、「五五百歳四菩薩再誕賢王出現と順縁広布の位置づけ」という論考において、大聖人の「折伏観」「広宣流布観」を次のように整理している。
「大聖人は、①末法の衆生に対する弘教の方軌として、摂受ではなく折伏を選択された②折伏には二義あり、一つは不軽菩薩の但行礼拝に象徴される、非妥協非暴力の逆縁毒鼓の折伏であり、もう一つは『涅槃経』に説示される有徳王や仙予国王に象徴される、武力を辞さぬ勢力的折伏である③宗祖は自身不軽菩薩の折伏を実践するとともに、弟子檀越にもそれを奨励された④その一方で賢王の勢力的折伏を期待し、当初は日本国主に国諌を行ったが国主はこれを拒絶した故に、蒙古襲来を契機として、蒙古国主を本化四菩薩再誕の賢王に見立て、愚王たる国主を誡責して、日本国ならびに一闇浮提が広宣流布することを期待した⑤しかし宗祖の生涯において賢王の出現はなく、結果として宗祖及び門下は、現実逆縁世界において不軽菩薩の折伏を行じ続けることとなった」と述べ、結論として、「宗祖滅後においても賢王が出現せず、したがって逆縁世界であり続ける限り、私たち宗祖の弟子檀越は、御遺命通り不軽菩薩の逆縁毒鼓の折伏を行ずべき」ことを主張した。
その一方で、山上氏は、「もっとも池田大作氏は大石寺に正本堂を建立寄進した際に、それを事の戒壇とし、自身を有徳王(勢力の折伏の実践者として『涅槃経』に示された王)になぞらえようとして、結局は不発に終わったという経緯があって、そのような意欲は充分あったと思われる」とも述べている。
実際、大聖人滅後800年において、四菩薩再誕の賢王の自覚で、順縁広布(化儀の広宣流布)を成し遂げようとしたのは、創価学会、なかんずく池田先生だけであると言ってよい。
今回、「折伏と広宣流布」を論じるにあたって、これまで学者がどんなことを言っているかをCiNii Researchというスグレモノの論文検索サーチで調べたところ、ほとんど創価学会関連のものしか出てこなかった。
https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E5%BA%83%E5%AE%A3%E6%B5%81%E5%B8%83
もう1つのスグレモノ論文検索サーチ、東大の「INBUDS」で検索しても結果は同じだった。
https://tripitaka.l.u-tokyo.ac.jp/INBUDS/ddb_ibd.php?m=sch&uekey=%E6%B5%85%E4%BA%95%E5%86%86%E9%81%93&ekey1=schall&a=
これは、他教団では、広宣流布なんて夢のまた夢、遠い先の空想の話であって、研究の対象とは見なされてなかったことを示している。日蓮正宗だって、創価学会が現れなかったら、真面目に考えることも無かったと思われる。
立正大学の浅井円道氏が昭和43年の「創価学会の出現と問題点」という論文で、
「三大秘法鈔偽撰論者は行者所住のところ即是道場の戒坦論(理戒坦)を立て、真撰論者は国立戒坦説を唱えるので、門下の戒坦論は大きく両分することができるが、若しかりに三大秘法鈔を真撰とすれば、中世的戒壇論を議会制民主政治の現代にどう消化すべきかが問題とならねばならぬ。この問題に対して一解答を与えたのは日蓮各派中、日蓮正宗創価学会だけであるという事実を直視することもまた必要である」
と述べているのは、注目していい。
山上氏は、「結局は不発に終わった」と述べているが果たして本当はどうか。
公明党の結党の原点は、王仏冥合による御遺命の本門寺の戒壇の建立にあったわけであるが、いまの原田学会・『教学要綱』は、完全に放棄している。広宣流布の達成期限である「五五百歳」を日達法主が2013年までと明かした説法もある。
公明党は、戒壇建立とも広宣流布とも関係のない「存在」となってしまった。もう、単独で法案を出すこともできない弱小政党になってしまった今や、都議選、参院選の結果次第では解党し、しかるべき政党と新党をつくるしかないのではないか。
以上です。