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ある女子部(女性部)の模範の人生
「稀有の大師匠にめぐり会えました福運により、
黄金の人生を、そして望外の至福の人生を、歩ませていただきました。
この御高恩に対し、永遠に生死生死を繰り返しながら、
必ずや、広布のお役に立ち、御深恩にお応え申し上げる決意でございます。」
「背信や忘恩、嫉妬や憎悪、強欲や怠惰、狂信か盲信に支配され、不信と猜疑に満ちた輩ばかり、
そうした人間は、批判はできても建設はできず、自利は計っても利他はなく、
対立はしても団結はできない。
すぐに内輪もめをはじめ、分裂していくものである。
悪侶に従って、信心強盛になった者など、皆無であろう。もちろん、成仏への功徳などない。
惨めな末路をたどった事例は、枚挙に暇いとまがないほどである。」
1991年10月17日 関西最高協議会
日達上人は、こう述べられている。
「いまの時代は御本尊を護持し、付属してあることあらしめておるのはだれでありますか。
学会であります。
また令法久住のために死身弘法をもって、仏法を守護し、
戒壇の大御本尊様を護持し、そして折伏をしておるのは学会であります。
また、あらゆる謗法の難を破折し、六難九易を身をもって行ない、
末法の広宣流布を実現しておるのも学会であります。
これこそ大聖人のおっしゃるところの法華講であります。
法華講の真の精神は、いまの学会員にあるのであります。
かかるがゆえに私は、その学会の会長である池田先生を、法華講総講頭に依頼したのであります」
(一九六六年五月三日、創価学会第二十九回総会)と。