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「稀有の大師匠にめぐり会えました福運により、
黄金の人生を、そして望外の至福の人生を、歩ませていただきました。
この御高恩に対し、永遠に生死生死を繰り返しながら、
必ずや、広布のお役に立ち、御深恩にお応え申し上げる決意でございます。」
牧口先生は、「愚人に憎まれたるは 第一の光栄なり」と言われていました。
私みたいな馬鹿でも、私に輪を掛けたような 大馬鹿には、 何かしら 憎まれるのでしょうか?
大聖人は、「鎌倉の念仏者よりも はるかに はかなく候ぞ 無慚とも 申す計りなし。」
とまで、言われています。
今の時代は、残念ながら 真面な人は 殆ど居ません。
どんな肩書が付いていても、中身は、十界の四悪趣が基底部です。
本当に題目を唱えている人しか、真面に相手にしてはいけません。
悪知識(慢心で心がマヒし、ねじ曲がっている。自分を見つめることができない、恥しらずなのである。)
に親近しない事とは、真に仏法を 求める時が来るまで、祈りながら 時を待つと言う事だと思います。