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世のなかの保守と偽保守を見分けるのは簡単なことで、偽保守は日本というと近代日本のことしか言わない。そして明治政府が作った皇国史観を本気で信じているか、あるいは信じたふりをしている。これも近代の視点にすぎないのである。近代日本の視点に終始して、日本史の紆余曲折の総体を是々非々で見る訓練がなされていない。見たくないものも見た上でなおかつ尊皇精神が揺らがないということでなければ真正保守ではない。
滅びるものは何をしても滅びるし、揺らがないものは何があっても揺らがない。このままでは滅びるといって、本当に滅びたならば、それはその程度のものだったということにすぎない。そして滅びたとしてもまた復活して、実は滅びていませんでしたと言えばすむというのが、案外物事の実情だったりするのである。
だから日本も何度も滅びている。しかし続いてもいる。そういうものなのだ。そこに問題の正体があるわけで、天皇の本質も実はその類いである。今日の皇位継承問題にしても、皇太子殿下がどうだとか、秋篠宮殿下がどうだとか、大室寅之祐がどうだとか、堀川辰吉郎がどうだとかいう話が、暇つぶしのネタとしても空疎に過ぎる物語として延々と続いている。
千年前の『源氏物語』の方がよほど真実を語っているが、これも公家や坊主が暇にあかせて延々と書き写してきたのである。これを読めばわかる人にはわかる、だから伝える……とでも思っていたに違いない。この物語のなかで光源氏が「日本紀などの正史は一面にすぎない。物語にこそ真実はある」という有名な言葉を述べるが、これは虚構の価値を主張した文学論ではない。言っていることを直裁に受け取ってよいのである。
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